親鸞聖人の伝記『御伝抄』の中に出てくる僧侶としての聖人の二番目の名前は「善信」ですが、これはどうも聖人の房号のようです。
昔から僧侶は原則として寺院内に住みます。この場所を私たちの場合は「庫裏(くり)」と申しますが、昔はこれを坊とか房(部屋)と言い、僧侶はお互いに本名(註.法名)で呼ばず、房の名前(房号)で呼びあったようです。
似たような事は現在でもおこなわれており、寺院間のおつき合いの場合、その人を名前ではなく「○○寺さん!」と呼ぶのが普通です。
源平合戦で名高い熊谷直実が、西神戸の一の谷の合戦で、自分の子供ほどの年齢の若武者・平敦盛の首を切ったことへの深い罪悪感の中から法然聖人に帰依して出家したお話はご存知でしょう。『御伝抄』上巻第六段で、その直実すなわち法力房が若き日の親鸞聖人のことを「善信の御房」と呼びかけていますから、「善信」が房号であることは間違いないと思われます。
昔から僧侶は原則として寺院内に住みます。この場所を私たちの場合は「庫裏(くり)」と申しますが、昔はこれを坊とか房(部屋)と言い、僧侶はお互いに本名(註.法名)で呼ばず、房の名前(房号)で呼びあったようです。
似たような事は現在でもおこなわれており、寺院間のおつき合いの場合、その人を名前ではなく「○○寺さん!」と呼ぶのが普通です。
源平合戦で名高い熊谷直実が、西神戸の一の谷の合戦で、自分の子供ほどの年齢の若武者・平敦盛の首を切ったことへの深い罪悪感の中から法然聖人に帰依して出家したお話はご存知でしょう。『御伝抄』上巻第六段で、その直実すなわち法力房が若き日の親鸞聖人のことを「善信の御房」と呼びかけていますから、「善信」が房号であることは間違いないと思われます。
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