親鸞聖人のお名前 「綽空」(1)

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  『御伝抄』では上巻第五段に、若き日の親鸞聖人が、法然聖人御撰述の『選択本願念仏集』の書写を完了して、法然師のもとに持参した時、師は自ら筆を執って「南無阿弥陀仏 往生の業 念仏為本」および「釈綽空」とお書き下さったことが記されています(親鸞聖人33歳、元久2(1205)年4月14日のことであります)。

  つまり、この当時、親鸞聖人は「綽空」と名乗っておられた頃です。

  ところが、その日、法然聖人の肖像画をおあずかりして図画することを許されるという、たいへんな名誉を重ねて頂戴し、7月29日に模写を終えて師聖人のもとへ持参されたところ、法然聖人は「南無阿弥陀仏」と経文の一部をお書き下さり、「また夢の告げによりて、綽空の字を改めて、おなじき日、御筆をもって名の字を書かしめたまひをはりぬ」とあります。

 だから、この時点までは綽空だったが、ここで名を改めた。何と改めたかが問題なのですが、古来「善信」と改めたのだとの説もありました。

  しかし、前回で述べたように、"善信"が房号で、改めてその前年、聖人31歳のとき、救世観音から「善信よ」と呼びかけられておられますから、33歳で「善信」に改められたとは考えにくい。

 では何と改められたのかというと、この時から「親鸞」と改められ、以降、「善信房親鸞」だったと考えられるべきではないでしょうか。

 以降、「綽空」のお名前は全く残っていません。

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