親鸞聖人の御幼名の一つ、「松若丸」は、松という字が木扁であることと関係がある。
木という字は、分解すると十八という字になります。
『無量寿経』というお経には、阿弥陀如来という仏様が、一切の衆生(生きとし生きるもの)を苦しみから救い、限り無く大きな喜びを与えようと、四十八通の誓い(願い)をお建てになった。そしてその四十八の誓いの中で最も大切なのが第十八番目の誓いである。
このような考え方は、親鸞聖人の先生である法然聖人(1133~1212年、浄土宗の開祖)が打ち建てられたのですが、松若丸という名前には、どうもこのような教義を仰ぐ後世の人びとが親鸞聖人の御幼名からして、十八の公(きみ)と言い、み仏の誓いを表しておられる。だから、親鸞聖人こそは阿弥陀如来の生まれ代りなのだ、という意味で創作したお名前ではないでしょうか。
なお、松こそは、お正月などにも特に用いられる最もおめでたい木だということで、特に御幼名に「松」が用いられたとも考えられます。
木という字は、分解すると十八という字になります。
『無量寿経』というお経には、阿弥陀如来という仏様が、一切の衆生(生きとし生きるもの)を苦しみから救い、限り無く大きな喜びを与えようと、四十八通の誓い(願い)をお建てになった。そしてその四十八の誓いの中で最も大切なのが第十八番目の誓いである。
このような考え方は、親鸞聖人の先生である法然聖人(1133~1212年、浄土宗の開祖)が打ち建てられたのですが、松若丸という名前には、どうもこのような教義を仰ぐ後世の人びとが親鸞聖人の御幼名からして、十八の公(きみ)と言い、み仏の誓いを表しておられる。だから、親鸞聖人こそは阿弥陀如来の生まれ代りなのだ、という意味で創作したお名前ではないでしょうか。
なお、松こそは、お正月などにも特に用いられる最もおめでたい木だということで、特に御幼名に「松」が用いられたとも考えられます。
聖徳太子の「桜よりも松が好き、いつも緑色を失わないから」という逸話を思いだしました。
松が好まれた時代背景もあったのかもしれませんね。
数年前、親鸞聖人の関東御旧跡巡拝旅行で、高田の専修寺に行ったことがあります。専修寺様の本堂のお荘厳は松だけでした。お話をしてくださった高田派のご輪番は、畑に本堂用の松を栽培していると言っておられました。
松だけを生けるということは、強いメッセージが感じられますね。
interesting, i'll be back later