30分ばかりの面談の後、私たちは本堂にお参りしました。数百人は入れるお堂のご本尊は、金色に輝く大きなお釈迦樣でした。無数の花や灯明が美しく供えられてあります。
ちょうど勤行の時間だったようです。法衣の上にえび茶色のマントをかぶった坊さん達が、続々と入ってきて、畳ぐらいの大きな臙脂色(えんじいろ)のマットを敷き並べ、一枚に2~3人ずつ坐って読経です。その数、約200人。しかし、よく見ると、そのほとんどが10歳前後から14~5歳の少年です。無邪気な顔をして大きな声で読経している者もいれば、あまり口が動いていない新米(?)の小僧もいます。
やがて私たちは本堂を出て、広大な境内の一角に建つ道場の方に歩いていきました。約100人を収容できる宿舎のそばに、登山用の幾張りかの小さなテントも並んでいます。宿舎に入りきれない西洋からの人たちが、秋のヒマラヤの夜をテントで寝泊まりしながら勉強に励んでいるのです。私は甥に申しました。
「結構なダルマ(仏法)が手近にありすぎて、私たちは、それを真剣に求めることを忘れて居るんだ」。
(豊原大成『心の風景 Ⅲ』自照社出版2006年 より)
ちょうど勤行の時間だったようです。法衣の上にえび茶色のマントをかぶった坊さん達が、続々と入ってきて、畳ぐらいの大きな臙脂色(えんじいろ)のマットを敷き並べ、一枚に2~3人ずつ坐って読経です。その数、約200人。しかし、よく見ると、そのほとんどが10歳前後から14~5歳の少年です。無邪気な顔をして大きな声で読経している者もいれば、あまり口が動いていない新米(?)の小僧もいます。
やがて私たちは本堂を出て、広大な境内の一角に建つ道場の方に歩いていきました。約100人を収容できる宿舎のそばに、登山用の幾張りかの小さなテントも並んでいます。宿舎に入りきれない西洋からの人たちが、秋のヒマラヤの夜をテントで寝泊まりしながら勉強に励んでいるのです。私は甥に申しました。
「結構なダルマ(仏法)が手近にありすぎて、私たちは、それを真剣に求めることを忘れて居るんだ」。
(豊原大成『心の風景 Ⅲ』自照社出版2006年 より)
そういえば硬派なお坊さんが減ったような。
昔はいいお顔をなさってました。
650回大遠忌の記録写真をみたときに感じたことですが、時代背景もあって、真剣に生きてらっしゃる印象のお坊さんが多かったです。
キツい云い方をお許し頂けるなら、真剣にダルマを求めないその姿勢が、現代のお顔にあらわれているような気がするんです。