親鸞聖人については、特に明治以降、非常にたくさんの伝記が書かれていますが、それらの一番基礎になるのは、聖人の33回忌の翌年に、曾孫に当たる本願寺第三世覚如師(実質的には本願寺を名乗った最初の宗主)が、数え年26歳で書かれた『善信聖人絵』(後に改題して『本願寺聖人親鸞伝絵』、略して『御伝抄』です。
その中で、聖人のお名前として最初に出てくるのは、聖人が9歳で剃髪されて名乗られた"範宴少納言"つまり範宴でしょう。聖人は以後29歳で下山されるまで、20年間の比叡山の修行中、その名で通されたのではないでしょうか。
比叡山時代の聖人については、"堂僧"(比較的身分の低い僧)をつとめておられたということ以外、ほとんど何もわかっていません。堂僧の件も、大正5年に本願寺のお蔵で発見された聖人の御内室・恵信尼公のお手紙によって、はじめてわかったのです。
その中で、聖人のお名前として最初に出てくるのは、聖人が9歳で剃髪されて名乗られた"範宴少納言"つまり範宴でしょう。聖人は以後29歳で下山されるまで、20年間の比叡山の修行中、その名で通されたのではないでしょうか。
比叡山時代の聖人については、"堂僧"(比較的身分の低い僧)をつとめておられたということ以外、ほとんど何もわかっていません。堂僧の件も、大正5年に本願寺のお蔵で発見された聖人の御内室・恵信尼公のお手紙によって、はじめてわかったのです。
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