親鸞聖人の「綽空」というお名前ですが、京都・嵐山に、弥陀・釈迦二尊を並べて御本尊とする、有名な「二尊院」というお寺があります。
法然聖人とたいへん縁故の深いお寺ですが、そこに法然聖人72歳、親鸞聖人32歳のときに作製された「七ヶ條制誡」(または「七ヶ條起請文」)という一巻があり、そこに法然聖人以下、吉水教団の面々190人が署名しています。親鸞聖人はその中87番目に「僧綽空」と署名されています。
この起請文は(複製本だと思いますが)二尊院本堂の一隅に、丁度「僧綽空」がみえるように展示されているのです。
ついでに申せば、東西両本願寺や高田・専修寺など、浄土真宗系の寺院に伝わる聖人の御真筆以外としては、この「僧綽空」が唯一のもので、知恩院をはじめ、法然聖人のお流れを汲む浄土宗系のお寺に伝わる法然聖人の伝記や文献の中には、親鸞、善信、綽空などの名前は、全く見られないようです。たいへん興味深い事実というべきですね。
なお、親鸞聖人は、お若い頃は全く著述などされていません。御著述の中で、年代に関説する最初は、聖人52歳の元仁元年(1224)です(『教行信証』(化身土文類六)による)。そして、『教行信証』が一応完成されて以降、の各種の御著述や、関東のお弟子たちへのお手紙には、「善信」とあったり「親鸞」とあったりするわけです。
法然聖人とたいへん縁故の深いお寺ですが、そこに法然聖人72歳、親鸞聖人32歳のときに作製された「七ヶ條制誡」(または「七ヶ條起請文」)という一巻があり、そこに法然聖人以下、吉水教団の面々190人が署名しています。親鸞聖人はその中87番目に「僧綽空」と署名されています。
この起請文は(複製本だと思いますが)二尊院本堂の一隅に、丁度「僧綽空」がみえるように展示されているのです。
ついでに申せば、東西両本願寺や高田・専修寺など、浄土真宗系の寺院に伝わる聖人の御真筆以外としては、この「僧綽空」が唯一のもので、知恩院をはじめ、法然聖人のお流れを汲む浄土宗系のお寺に伝わる法然聖人の伝記や文献の中には、親鸞、善信、綽空などの名前は、全く見られないようです。たいへん興味深い事実というべきですね。
なお、親鸞聖人は、お若い頃は全く著述などされていません。御著述の中で、年代に関説する最初は、聖人52歳の元仁元年(1224)です(『教行信証』(化身土文類六)による)。そして、『教行信証』が一応完成されて以降、の各種の御著述や、関東のお弟子たちへのお手紙には、「善信」とあったり「親鸞」とあったりするわけです。
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