東本願寺の寺紋が「牡丹」であるということについて、東本願寺第20世・光朗師(達如上人、1880~1865)が近衛経熈の娘・熈子姫を妃として迎え、その時に近衛家の家紋・「抱き牡丹」がもたらされたであろうとの説がありますが、これは遅すぎるように思います。
東本願寺の各宗主も、次の表で明らかなように、藤原家の筆頭・近衛家や九條家との関係が深く、それ故に、近衛家の紋所「抱き牡丹」が寺紋として早くから用いられていたのでしょう。

大谷派の牡丹
第11代 顕如 関白九條稙通(の猶子)
第12代 教如 准三宮近衛前久(の猶子) (1558~1614)
第13代 宣如 関白九條兼孝(の猶子)(1604~1658)
第14代 琢如 摂政九條道房(の猶子)(1625~1971)
(母は関白九條幸家の女)
第15代 常如 関白九條幸家(の猶子)(1641~1694)
(母は関白近衛信尋の女)
第16代 一如 関白近衛基熈(の猶子)(1649~1700)
(母は准大臣広橋兼賢の女)
第17代 真如 関白近衛基熈(の猶子)(1682~1744)
第18代 従如 内大臣近衛内前(の猶子)(1720~1760)
第19代 乗如 内大臣近衛内前(の猶子)(1744~1792)
第20代 達如 前摂政近衛内前(の猶子)(1780~1865)
第21代 厳如 右大臣近衛忠熈(の猶子)(1817~1894)
第22代 現如 右大臣近衛忠熈(の猶子)(1852~1923)
(以下略)
東本願寺の各宗主も、次の表で明らかなように、藤原家の筆頭・近衛家や九條家との関係が深く、それ故に、近衛家の紋所「抱き牡丹」が寺紋として早くから用いられていたのでしょう。

大谷派の牡丹
第11代 顕如 関白九條稙通(の猶子)
第12代 教如 准三宮近衛前久(の猶子) (1558~1614)
第13代 宣如 関白九條兼孝(の猶子)(1604~1658)
第14代 琢如 摂政九條道房(の猶子)(1625~1971)
(母は関白九條幸家の女)
第15代 常如 関白九條幸家(の猶子)(1641~1694)
(母は関白近衛信尋の女)
第16代 一如 関白近衛基熈(の猶子)(1649~1700)
(母は准大臣広橋兼賢の女)
第17代 真如 関白近衛基熈(の猶子)(1682~1744)
第18代 従如 内大臣近衛内前(の猶子)(1720~1760)
第19代 乗如 内大臣近衛内前(の猶子)(1744~1792)
第20代 達如 前摂政近衛内前(の猶子)(1780~1865)
第21代 厳如 右大臣近衛忠熈(の猶子)(1817~1894)
第22代 現如 右大臣近衛忠熈(の猶子)(1852~1923)
(以下略)
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