では、「下り藤」は?
伝聞するところ、第22代宗主・鏡如上人(シルクロード探検などで名高い大谷光瑞師)は明治31年、九條籌子(かずこ)さまと結婚されました。光瑞師23歳(数え年)、籌子さま17歳(同)だったそうです。
そのとき籌子さまがご持参になった紋所が「下り藤」(通称「九條家下り藤」)です。
籌子さまは明治36年、22歳の若さで亡くなられますが、光瑞師は明治36年、父君明如宗主の御逝去によって、宗主の地位に就かれ、伝灯報告法要を明治36年5月に勤修されます。
そしてこの時、初めて記念五條袈裟(その後、さまざまな法要や大行事の記念に、新しい図案を用いた五條袈裟が制定された)を制定し、その紋所(縦に5紋、横に14紋、合計70紋を連ねる)として、「下り藤」を御依用になりました。
但し、この紋所は「西六條下り藤」と通称され、「九條家下藤」が房の花が円く、花と花との間の開きが広く、「西六條下り藤」との相違は一見明瞭です。
その他、「下り藤」の紋所も各家各種あり、逆の「上り藤」も各様あります。
西六条下り藤(西本願寺) 九條家下り藤
二條家下り藤 一條家下藤

佛光寺家下り藤 伊藤家上り藤
伝聞するところ、第22代宗主・鏡如上人(シルクロード探検などで名高い大谷光瑞師)は明治31年、九條籌子(かずこ)さまと結婚されました。光瑞師23歳(数え年)、籌子さま17歳(同)だったそうです。
そのとき籌子さまがご持参になった紋所が「下り藤」(通称「九條家下り藤」)です。
籌子さまは明治36年、22歳の若さで亡くなられますが、光瑞師は明治36年、父君明如宗主の御逝去によって、宗主の地位に就かれ、伝灯報告法要を明治36年5月に勤修されます。
そしてこの時、初めて記念五條袈裟(その後、さまざまな法要や大行事の記念に、新しい図案を用いた五條袈裟が制定された)を制定し、その紋所(縦に5紋、横に14紋、合計70紋を連ねる)として、「下り藤」を御依用になりました。
但し、この紋所は「西六條下り藤」と通称され、「九條家下藤」が房の花が円く、花と花との間の開きが広く、「西六條下り藤」との相違は一見明瞭です。
その他、「下り藤」の紋所も各家各種あり、逆の「上り藤」も各様あります。
西六条下り藤(西本願寺) 九條家下り藤
二條家下り藤 一條家下藤

佛光寺家下り藤 伊藤家上り藤
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