「さるすべり」様から、本願寺(や一般寺院などの)本堂の、阿弥陀如来の尊前の輪灯のデザインは何故「菊」なのかとのお尋ねがありました。
しかし「これこれの理由で菊にした」との文献を、私は未だ見ておりません。例によって管見に推測を混えてしかお答できないことをお許し下さい。
さて、本願寺には、遅くとも天文年間(1532~1555。天文元年に、それまで続いた山科本願寺が、法華衆徒等によって焼打ちされ、翌年から大阪・石山に本願寺を移します)から、法式に関する可成り入念な記録が作成されました。『私心記』などがそれです。
そしてやや後の時代から、毎日各種のおつとめ、法要その他に関し、その種類、出勤者、読誦した和讃さえも記録するようになり、それを一般に『御堂記録』と呼んでいます。今日まで400年以上の毎日の記録ですから、その分量は大層なものになります。
それらが、昭和55年以降、京都の出版社「同朋舎」から『本願寺史料集成』のお名のもとに、順次出版されてきました。これは小生など素人にとって大変有難かったのですが、平成6年に第17冊目『豊後国諸記』(上)を最後に刊行がストップしています。従って、以降、少なくとも書籍の形でこれを勉強することは出来なくなったのです。
それは兎に角、元和(1615~1624)3年の年末に本願寺が大火のために喪失し、翌年11月報恩講までに阿弥陀堂(直ちに御影堂に転用)が再建されます。この御堂は、現在の阿弥陀堂が宝暦10(1786)年に建立されるに先立って、京都西郊の西山別院に移築されて以降、該院の本堂として現在に至っているのですが、現在の阿弥陀堂の輪灯がこの何れの時に「菊」になったかが不明なのです。
更に、元和につづく寛永(1624~1644)の13年に現在の御影堂が完成し、その時、御影堂に「牡丹」、阿弥陀堂もそれに合わせて「菊」輪灯にしたのかも知れません。
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