2008年7月アーカイブ

 7月26日夕刻、今や全国的に名高い隅田川の
花火大会を見物させていただいた。

 開催合図「雷」が6時15分に打ち上げられ、
花火は7時すぎから始まるというのに、6時前には
既に物凄い数の見物人。川沿いには素よりで
あろうが、空に花火が見遙かせる大通りも数キロ
にわたって交通規制が布かれ、その路上に所狭し
と若者たちが敷物を敷いて座りこんでいる。

 花火見物客は90万人と報じられたようだが、
その大部分は、このような若者たちだったのでは
ないか。

 さて、その中を辛うじて、ご案内の場所にたどり
ついた。持参の弁当に時どき箸を運びながら、
8時半のフィナーレまで、夜空に色とりどりに、形も
様ざまに開花する、その見事な造形、技術を堪能
させていただいた。


90歳!

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 「ジェット機上から」では、あまりはかばか
しくないことを書きましたが、それは、次の
ことを書きたかったからなのです。

 勉強会は2日で参加者のべ100人ほど。
例によって、あちこち脱線する話を、辛抱強く、
熱心に聴いて下さり、質問も沢山出て、講師
冥利に尽きるものでした。
 そして、空港まで送ってもらった車の中で
"職員は何人?"と訊ねると、"90歳の用務員
まで入れると○○人です"と。

 "え? 90歳?" 

 私は思わず問い直しました。そして"そうか、
あの作業着姿の小柄なおばさんが、そうだった
のか。知っていたら、顔なりと拝ませてもらった
のに"と、甚だ残念に思いました。

 なお、聞けば、彼女は乗物を乗りついで出勤
してくるとのこと。
 私は、「彼女、やめてもらったら駄目だよ」と
言いました。もし、やめさせられたら、きっと忽ち
に死んでしまうだろうと思ったからですが、同乗
していた所長も同じ考えのようでした。

 そして、こんな話も聞かせてくれました。
 「今春、職員旅行でタイまでつれて行ったの
です。皆さんに迷惑がかかるからと辞退したの
ですが、車椅子でした」

 「それは良かった」と私は申しました。

 その心があれば、所は栄えること間違い無し。
 それにしても、いわゆる後期高齢者の皆さん!
(私もその一人ですが)、90歳でも、それ以上に
なっても、頑張りましょうね。

 さて、帰りは、熊本発18:55-羽田着20:30の
日航機でしたので、夕闇迫る中、はじめは、
疲れもあって、少しうとうと。そして目がさめた
のがちょうど、関空上空。うまい具合に、下界が
はっきりと見えたのですが、大阪周辺の電光が
あっという間に後に過ぎて。それから何と10分
たらずで伊勢湾らしきところへ。更に十数分で
多分、相模湾の南方を通過。そして早くも降下を
始め、三浦半島の南端あたりを通ったのが20:13
で、熊本離陸から僅か1時間そこそこです。さすが
に飛行機は速い!

 そして房総半島上空から見る東京湾入口附近
の何と狭いことよ。ここを塞がれたら、東京湾
は完全に機能が停るな、などと思っているうち
に、機は気流の関係でしょうか、随分大回りして
たしか2~3分遅れて北側から羽田に進入したよう
に思います。

 以上は、東京←→熊本、初体験の感想ですが、
いろいろ間違っているかも知れませんので、その
点は御寛容下さい。

 機はそのまま真西へ。そして"只今、京都の
上空を通過中"とかのアナウンスが聞こえたの
で下を見ていると、機は南西に機首を向けやがて、
おおきな川が海に注いでいるのが見えます。

 「あぁ、淀川と大阪湾なのだろう」と思い
ながら、更に西に方向を変えた機の目の前に、
陸地が見えてきたので、「六甲アイランドかな」
ぐらいに思っていたら、それが大きい大きい。
なんと淡路島の北半分だったのです。やがて続
いて地図とは上下反対の形をした小豆島を左に
見て、「一島いまだ去らざるに一島さらにあら
われ・・・」というあの5年生か6年生ごろの
『尋常小学校国語読本』そのままの光景を、
ちょとだけ楽しんだと思ったら、下に雲海が
広がり、「晴れないかなぁ」と思っているうちに、
機は早くも着陸態勢に入り、あっという間に
熊本空港に到着しました。

 平成20年7月22日~23日、2日間の研修会の
お付き合いのために、初めて熊本にお伺いし
ました。

 羽田発AM8:35-熊本着AM10:25の全日空機
を利用しましたが、離陸後しばらくして、左下に
赤紫色の山が見えてきました。頂上の火口らしき
ところの僅かばかりの白い色は残雪でしょう。
雪の筋は数本を、中腹まで下っています。あぁ、
これは富士山だったのです。中腹から下は赤紫
色に混じって、濃い緑色の無数の縦の線が見え
ています。これは樹木でしょう。中腹より少し
下った所には、段々畑らしいものも、そして麓
には樹海らしいものも広がっています。

 以前、中国や、更にその先のパキスタン方面
の旅行の時にも飛んだコースですが、あのとき
は冬で、富士山は真白でした。
 そしてこの赤紫色の富士山が、北斎などの
浮世絵で(但しこれは地上から、あるいは海から
眺めていたものですが)、赤紫の地肌に画かれ
ている理由が、遅まきながらわかりました。

コロ(2)

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 ところで、つい先日、築地から自坊に帰るに
当たって車内で食べるために東京駅で買った
サンドイッチですが、何となく食欲がすすま
なくて、6片のうちハムサンドを含めた2片を
食べ残し、帰ってから夜食にでもと思って、
そのままバッグに入れて帰りました。

 ところが、です。駅まで来てくれた迎えの
車を降りて、勝手口の引き戸を開けた途端、
折しも警備のために庭に放ち飼いにしていた
らしいコロが、どこからかとんで来て、しっぽ
を振り振り「ワン、ワン!」

 おや、今日はどうしたのかと思ってみると、
彼女の鼻は、私のバッグに、ピッタリとくっつ
いているのです。
 ああ、これだったのかと、包をとり出すの
も待ちきれなかったかのように、あっという
間にサンドイッチを食べてしまいました。

 それにしても、おそるべきはその嗅覚、
いや食べ物に対する、生命に対する執着です。

 この様子に、若坊守(副住職の妻)は、
「これからはコロちゃんもちゃんとお迎えする
かも知れませんね」と言っていましたが、
「そうは問屋がおろさないぞ」と私は思って
います。

コロ(1)

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 私の寺に「コロ」という名の犬がいます。
甥の副住職一家が入寺するときに連れきて
きたのですが、あのころ既に2歳くらいだった
かと思われますので、今では10歳くらいに
なっているのでしょう。
 背高が40~50センチ、耳がピンと立ち、色
はほぼまっ白ですが、多分雑種でしょう。
なお、雌ですが、避妊手術をされているそう
です。

 私は日々多忙で、自坊に居ないことも多く、
犬の相手をすることもない。いわんや餌など
与えたこともない。
 
 彼女は犬にしては可成り頭脳が良さそうで、
折々に然るべき反応、特に好き嫌いの意志を、
はっきり示すようですが、私に対しては「よそ
の人みたいでもあるが、どうやらお寺の人らし
い」ぐらいにしか思っていないことが、その
横目使いのそっけない表情から読みとれます。


臥薪(3)

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 次に、もう一つ「臥薪」があります。

 それは、本願寺第八代の蓮如上人
(1415~1499)に帰依した越中国(今の
富山県)赤尾の人・道宗は、「阿弥陀如来の
御恩を忘れては勿体ない。これくらいの
苦痛は当たり前」と、薪を並べて、その上で
寝たというのです。

 さぞかし身体が痛かったでしょう。ぐっすりと
安眠もできなかったかも知れません。しかし
道宗にとってはそれでよかったのでしょう。

 同じ「臥薪」でも、昔の武将と、念仏者と
では、その目的がこんなにも違う。いや全く
正反対なのですね。

 先日、そろそろ暑くなってきて、たまたま、
ベッドではなく、畳の上に寝ころがっていて、
こんなことを考えていました。

臥薪(2)

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 さて、この薪に関して、たまたま二つの
有名なエピソードがあることに気がつきま
した。

 その一つが「臥薪嘗胆」です。

 それは、中国の古典に出てくる数多くの
トピックの一つです。

 中国に未だ統一国家の出現を見ず、各地
に群雄が割拠して攻防をくり返していた春秋
時代(紀元前5~7世紀、孔子の著『春秋』に
取り扱われている時代なのでこの名がある)、
今の長江の流域にあった呉の国王・闔廬(こうろ)
の子・夫差(ふさ)が、父の仇・越王勾践に
対する仇討ちの志を忘れないために、薪を
並べてその上に寝て身を苦しめ、ついに会稽
での戦いに勾践を破って父の仇を報いたという
のが「臥薪」です。

 後半の「嘗胆」は、この夫差に敗れた勾践が、
会稽で捕虜になった恥辱を忘れないために、
動物の苦い胆を嘗めて報復を誓い、やがて
名臣・范蠡の力を得て、ついに夫差を破ったと
いうお話です。

 なお、両方とも越王勾践のことだとの説もあり、
よく御存知の方も多いと思います。

臥薪(1)

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 薪という字をご存知でしょう。「たきぎ」
とも「まき」とも読みます。

 燃料になる木のことですが、いわゆる樹木
の小枝などであるよりも、直径2~30センチ
の樹木の幹などの乾いたものを、長さ3~40
センチに輪切りにし、それを樹木の株などで
作った台の上に立てて、斧で5~6センチ角に
縦割りしたもの(割り木とも云います)が一般
的です。

 その長さ、大きさですと、昔はどんな家にでも
あった、御飯などを煮炊きするための竃(かまど)
に何本かづつ挿入して火を着け、燃料にする
のに手頃だったのです。

 私なども小学校の頃、なかば遊びで、戦争中、
次第に少なくなった男手の手伝いということで、
弟たちと一緒に、薪割りをしたことがあります。
楽しい想い出です。

ウラ盆(3)

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 だから盂蘭盆会(うらぼんえ:会(え)とは
行事というほどの意味)は(旧暦)7月中旬に
行われ、東京などではそのまま現在に受け
つがれていますが、新暦に直して8月に
盆会を行う地方が、むしろ多いようです。

 なお、盂蘭盆会の期間には地獄の釜の蓋
が開いて、亡者がこの世に帰ってくるなどの
俗説もあり、この俗説に基づくのでしょう、お盆が
終わると亡霊が天空の彼方に帰って行く。
その道を照らすのだということで、京都などでは
市の北部、東山の如意ヶ岳の大文字をはじめ
とする五山の送りが、8月16日の夕刻に行われ
ます。

 また、ウラボンの原語はペルシャ語で死霊、
祖霊を意味するウルヴァンだとの説も、特に戦後、
ここ数十年、耳にするようになりました。

ウラ盆(2)

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 お釈迦さまの高弟・目連尊者は、死んだ
お母さんが、今ごろ、どこで、どうしている
だろうかと、神通力をもって観察したところ、
お母さんは生前、目連可愛さの余り、他人に
対して余りに吝嗇(りんしょく:けち)だった
ために、その報いとして死後、恐ろしい餓鬼道
に落ち、逆さまに吊され、空腹に苦しんでいる
ことがわかりました。

 そこで目連さんが、お釈迦さまに、どうした
ら、お母さんを餓鬼道から救い出せるかをお訊
ねしたところ、お釈迦さまは、

 「雨期(旧暦4月16日から7月15日まで、現在
の暦では大体7、8、9月の三ヶ月)の間に行われ
る安居(あんご:僧侶が森や寺院など一ヶ所に
滞在して修行する行事)が終わった自恣(じし:反省)
の日に、四方の僧伽(サンガ:教団)に供養せよ」

と教えてくださったとの『仏説盂蘭盆経』など
の教えに基づき、故人を偲び、その御恩に感謝
するのが盂蘭盆会(うらぼんえ)なのです。

ウラ盆(1)

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 東京のある僧侶が、お盆参りで訪れた家で、

 「ウラ盆は7月ですが、オモテ盆は8月ですか」

と、訊ねられたそうですが、お盆にウラ(裏)と
オモテ(表)があるのではありません。

 お盆は正式には盂蘭盆(ウラボン)と書き、
これはインドの古典語(サンスクリット語、梵語)
のウルランバナの音訳語で、倒懸つまり"逆さ吊り"
の意味だとされています。


 7月4日に、KYさんという方から次の
ようなご質問をいただきました。

蓮如上人御文章三帖第四通に、「世のなかにひとの
あまねくこころえおきたるとおりは、ただ声に出して、
南無阿弥陀仏とばかりとなうれば、極楽に往生すべき
ようにおもいはんべり。それはおおきにおぼつかなき
ことなり。」という箇所がございます。
 摂取不捨の利益にあづかれるために、念仏する
幼児に最低理解させておくべきことは、どのような
ことでしょうか。どうかお教え下さい。

 このご質問に対して、お答えします。

 世の中には、目に見えるものと見えない
もの、聞こえるものと聞こえないものなど
があります。

 たとえば、万有引力は目に見えず、磁力
も電気も見えませんが、確実に存在します。

 心や智慧も見えませんが、この心が人を
動かし、この智慧が世を動かしてきました。

 仏さまとは、実は智慧そのもの。慈悲の
心そのものなのですから、目には見えません。

 ただ、私たちに分かり易いように黄金の
姿をもって現われ(方便法身の尊形)、
南無阿弥陀仏の名号(方便方身の尊号)と
して示されているのです。

 「大人は、このみ仏のお心を知って、
お念仏をさせていただくべきであり、み仏
のお心を度外視して念仏すること、つまり
念仏を呪文あつかいにしてはいけない。
呪文で極楽往生できるわけではない」と
いうのが、御文章三帖第四通のお心で
しょう。

 しかし、子供さんには、上記のように
お話しされても理解は困難です。

 ただ、子供さんが、大人から言われた
通りにお念仏をされるのは、大人の言われる
通りに仏様のお心を理解し、信じておられる
からです。こんなに純粋で清らかなお念仏は
ありません。

 どうか幼い方たちに、目には見えなくても
仏さまは、私たちが幸せになるように、悪い
ことをしたり、なまけたりして、不幸になら
ないように、いつも心配し、ご覧になって
いるのですよ。その佛さまは、お仏壇の御本尊
のようなお姿なのですよ。亡くなった御先祖
の写真も拝むでしょう。お仏壇の御本尊は佛
さまの写真なのです。と教えてあげてください。

 どうぞ皆さん、お幸せに。
 お念仏を御大切に。

 <追伸>
 私が作詩・作曲した、子供のための仏教
讃歌の一つ、「はすの おはなの」の歌詞だけ
を紹介します。

 はすのお花の   豊原大成 作詩・作曲

  1.ほとけさまは きれいだな
    きんいろの ころもきて
    おてて わたしの ほうに向け
    はすの お花の うえに立ち

  2.ほとけさまは ぼくたちが
    ねてる あいだも おやさしい
    おめめで じっと ごらんだよ
    はすの お花の うえにたち

  3.ほとけさまは ふしぎだな
    大きな お耳で わたしたち
    みんなの はなし お聞きだと
    はすの お花の うえにたち

  4.ほとけさまは だいすきだ
    ひかりとなって ぼくたちを
    いつも つつんで くださるの
    はすの お花の おくにから


 京童たちに叱られるかも知れませんが、
新幹線に乗っていると、まさに溝を一またぎ
というほどの感じなのです。

 しかし、です。

 先に述べた大河たちは、何れも有名です。

 しかし、この小さな加茂川も、それらに
劣らず有名です。もしかしたら、天竜川や
木曽川は知らなくとも、加茂川の名だけは
知っている人も少なくないでしょう。

 まさに、「山、高きが故に尊とからず」で、
その反対に、「川、小さきが故に卑しからず」
というところでしょうか。

 人間も尊卑、上下、貧富、貴賎、賢愚、
強弱、老幼、男女・・・・。いろいろと対立する
概念によって分類されますが、これらの区別
は、戒める立場から見れば全て空しい区分
かも知れませんね。

 しかし少くとも、親子、師弟、長幼などの
秩序は、誰もが大切にする社会であってほしい
ものです。


 そして、やがて、逢坂山トンネルを抜ける
と山科盆地、もう一つ東山トンネルをくぐる
と間も無く京都駅です。その手前で加茂川を
越えるはず。ところが、降車の用意などをして
いると、いつの間に加茂川を渡ったのか、
わからないことがあるのです。

 実は加茂川は、それほど小さいのです。

 鉄道の北側は、上流の方から続く東西両岸
の河川敷の関係もあって、川幅は100メートル
にも及ぶと思われますが、丁度鉄道の下あたり
で河川敷が無くなり、下流側は、水流の幅は
僅かに20メートルほどしかありません。


 ところで、列車で東京駅を発って、例えば
新大阪まで、「のぞみ」で約2時間半、「ひかり」
で約3時間の中、大抵は30分か1時間程度仮眠
がとれますので、これがとても休養になり、
健康維持に役立っていると思うのですが、一応、
全区間、目を開けているとすると、随分沢山の
川を渡ります。

 東京駅の次が品川駅ですが、そのつぎの新横浜
までに多摩川、新横浜を過ぎて暫く行くと相模川、
次が富士川です。「上り」の場合は、この辺で
富士山が一番よく見えるはずですが、綺麗に
晴れ上った姿は、まだ見たことがありません。
秋が良いのでしょう。

 静岡を過ぎると間も無く、戦前の『尋常小学
国語讀本』にも出ていた「安倍川」の渡し。
そして次が"箱根八里は馬でも越すが、越すに
越されぬ大井川。"――橋が無かった時代、旅行
は大変だったのでしょうね。

 やがて浜松の手前で巨大な天竜川。浜名湖を
過ぎ、豊橋を過ぎて、名古屋の手前で、少年時代
の豊臣秀吉が尾張の土豪・蜂須賀小六と出逢った
という橋が架っていた矢作川。そして名古屋を
出ると、ほど無く大河の木曽川、鵜飼で名高い
長良川など、どんどん渡って、米原を過ぎると、
琵琶湖に注ぐ野洲川などの看板も堤に見える。


 3月末に本願寺築地別院(東京での通称=築地
本願寺)に輪番(責任者)として着任以来、
早いもので3ヶ月が過ぎました。

 東京での生活にも少しづつ慣れて来ました
が、それ以上に慣れたのは新幹線での関西
との往復。正確には数えてはいませんが、
秘書室の話では月6回ぐらいだそうですから、
3ヶ月でほぼ18回往復したことになる。

 「JRから表彰してもらえないかな」などと
冗談を言っています。

騒音

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 私は、もう長い間、二週間に一回の散髪を
原則としていました。近頃は多忙の度が加わ
って、三週間に一度ぐらいになりかねないの
ですが、私にとって、理髪店での楽しみの一
つは、理髪用の椅子に坐っている間、書籍も
ペンももたず、専ら考えごとに専念できる
(せざるを得ない)ことと、更に大きな楽し
みは、特に頭髪に鋏を入れてもらっている間
に居眠りをすることです。これは理髪師に
とっては、多少は仕事がしずらいかもしれま
せんので、ぐっすり眠ったと思った時は、
「やりにくかったでしょう」と、あやまる
ことにしています。

 ところが、この、上記の楽しみの何れもが
不可能になる場合があります。それは近隣の
客のあたりかまわぬおしゃべりです。これを
やられると、うるさくて眠れないし、考え事
も出来ない。20分、30分、時には40分、
その客か私かの何れかの理髪がすむまで、
おしゃべりが耳に入ってきます。

 そしてそのおしゃべりの内容というのが、
ほとんどの場合、別に今、問題にしなくても
よい世間話か、または客自身の自慢話です。

 疲れて眠いとき、何か考えをまとめなけれ
ばならない時、こんな相客に遭遇するのは、
全くやり切れません。

 もっとも理髪店だけではない。列車内での
乗客のおしゃべり、それもよく徹る声の場合
は厄介です。居眠りも、読書も、考えごとも
出来ません。

 こんな時は、出来れば少しでも離れた席に
移動しますし、近距離電車で然るべき空席が
見つからない場合は、ドアーのそばなどに行っ
て立つことにしています。

横ずれ思考

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 暑さや疲れで咽喉が乾いた時、愛飲家なら
きっと「ビール!」と思われるでしょう。

 しかしこの指向(趣向)は、必ずしも百点
満点とは言えないかも知れませんね。
 
 すなわち、同じ飲み物でもジュース、コーラ
などの選択肢があるわけですし、よく冷えた
水が、むしろよいかも知れません。

 更に言うなら温かいお茶の方が、お腹の
ためには、もっとよいかも知れない。

 何事かをする場合、頭初から一つの事に
決めてしまわないで、目的のために手段を、
さらには目的そのものにも次つぎと、いろ
んな要素を仮にあてはめてみましょう。

 その横ずれ思考こそ、頭の体操にもなり、
意図をより上手く、より早く達成するため
の力になります。
 ビールか水かお茶ぐらいなら兎も角、
大きな仕事をする場合、この横ずれ思考は
絶対に忘れてはならないでしょう。

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