さて、『十住毘婆沙論』ですが、それは私
たちの浄土真宗にとって極めて大切なお聖教の
一つなのです。
もとは『華厳経』という数十巻の大きなお経
の一部、菩薩の階梯を説く部分・十地品の注釈
書で、七高僧の第一、龍樹菩薩がお書きになり、
『阿弥陀経』と同じく、大翻訳家鳩摩羅什が
漢訳した15巻35品(章)の書物なのです。
そしてその第九・易行品で、菩薩が不退転
の位に入るために、努力精進する難行道、
つまり聖道門自力の教えと、み仏の願力を信じ、
お念仏を称える易行道、つまり他力浄土門と
の二門があることが、初めて説かれたのです。
この難行道・易行道の教えは、以降、曇鸞
大師、道綽禅師、源信和尚、法然上人と相い
継がれ、親鸞聖人も、御主著『教行信証』の
中で、この御文を引用し、私たちにお伝え
くださっているのです。その間、今に至るまで、
龍樹菩薩からだけでも1800年もの歳月が経過
しています。
ちょうど、美術館から出て、広い路を鍵の
手に曲がった所の会館で、何十もの古書店が
出店している、かなり大規模な古本市が催さ
れていて、足が自然と、その中に吸いこまれ
ました。入ってみると、さすが京都。仏教書
がずいぶんたくさん並んでおり、ついついその
何冊かを買い求めました。
ところが、私の買った古本の中に、奇妙な
一部が入っていたのです。和綴の木版刷り5冊、
署名は表の題上に『浄土真宗 十住毘婆沙論』
とあり、もとはかなりの勉強家の持ち物だった
らしく、たび重なる披読のためか、紙も相当く
たびれています。また、特に最初の二冊ほどは、
一面に朱点が施され、所どころに見出しのため
の書き込みまでが、欄外に墨筆でなされており、
そのうちの一冊にはもとの持ち主の名前まで
墨書されていたのです。
一昨年の夏だったでしょうか。ご本山のご用
が、たまたま早く済んだので、折しも京都市内
の岡崎で開かれていた、明治-大正-昭和に
かけての日本画の大家、横山大観画伯の絵の
展覧会を見に行きました。
以前から好きだった、2~3歳の童女を画いた
「無心」や、長さ40メートルに及ぶ、雨水→
谷川→大川→大海→雲となって天へという水の
生涯を画いた絵巻物「生々流転」などに見と
れながら、思いがけぬ楽しい一刻を過ごしま
した。
ところが、その帰り道、もう一つの「生々
流転」に出くわしたのです。
まことに、一つひとつの天体のもつ影響力に
あらためて関心させられるのですが、同じこと
は、この私自身の一挙一動、何を考え、何を見、
何を聞き、何を行うかが、私自身はもちろん、
周囲の人びと、いや社会、世界全体に、何ほど
かの影響を及ぼし、逆に、世界の限りないさま
ざまな要因のお陰で、私自身が今ここに、こう
やって存在していることを思わねばなりません。
これが仏教で言う「重々無尽の縁」であり、
だからこそ私たちは、一日一刻の暮し、一回一回
のお寺参り、一口一口のお念仏を、限りなく大切
にしなければなりません。
(豊原大成 『心の風景 Ⅲ』 自照社出版 2006年)
だから、もし地球の目方がどれほどか軽く
なったら、あるいは自転が止まったら、灼熱
の太陽に吸いこまれてしまいますし、重くな
ったら太陽から離れ、太陽から受ける光も熱
も減少し、すべての生物は凍死してしまうで
しょう。そして太陽系全体のバランスが崩れ、
太陽系そのものが崩壊消滅してしまうはずで
す。
ですから、今、太陽系はその構成員たる太
陽や惑星すべての絶妙のバランスの上に存在
しているのですが、考えてみると、小さな一粒
の丸薬が40キロ離れた直径1メートルのボール
に影響を与えているなんて、その重力(引力)
関係、つまり極微小に思える縁が実はものすご
い影響力をもっていることに、驚かずにはおれ
ません。
なお、太陽(系)辞退がヘルクレス座という
星座の方向に向かって猛烈なスピードで大宇宙
の中を飛んでいるそうですし、大宇宙には我わ
れの太陽系と同じような別の太陽系が、恐らく
は何十億も存在しており、それがまた、お互い
に無限の距離をへだてながら、極めて微妙な力
関係を保ちつつ存在しているのです。
(豊原大成 『心の風景 Ⅲ』 自照社出版 2006年)
次にその広がりですが、太陽を直径1メー
トルほどのボールだとすると、地球は1キロ
ほど離れたところにある直径1センチほどの
グリーンピースです。
月は地球から30センチほど(38.5万キロ)
離れた直径2.5ミリ(直径3500キロ)の粒で
す。
そしてその一番外側の冥王星は太陽周回
の軌道がかなり楕円形ですが、その平均を
とると60億キロ。つまり太陽と地球の距離
の40倍ほどのところを周回していますから、
太陽のボールから40キロほど(JR大阪駅か
ら西なら須磨、東なら京都の一つ手前の
西大路駅)のあたりにある直径5ミリ弱の
粒で、地球が一年で太陽を一周するのに、
248年もかけて、太陽を一周りするのだそ
うです。
まさに気の遠くなるような話ですが、こ
れは、太陽はじめたくさんの天体が、それ
ぞれ重さつまり引力をもっており、その重
さ(引力)のバランスがとれているから
太陽系が存在するのだそうです。
(豊原大成 『心の風景Ⅲ』 自照社出版 2006年より)
さて、太陽系には9個の遊星(惑星)が
あると考えられています。9個の星とは、
内側から、水星、金星、地球、火星、木星、
土星、天王星、海王星、冥王星の九星で、
ほかに、火星と木星の間に約4000個の小惑
星があり、それらすべてが太陽を中心にし
て、ほぼ同一の円盤上に空間を周回してい
るのです(ただし、冥王星は2006年、国際
天文学会の決議で惑星の肩書をはずされま
した)。
また、地球に月があるように、火星は二
つ、木星は63個、土星は帽子の円い鍔のよ
うな環(無数の岩の集まり)のほかに56以
上の衛星があるなど、その構造は複合して
おり、彗星(帚木星)さえも太陽系の一員
だそうです。
(豊原大成 『心の風景Ⅲ』 自照社出版 2006年より)
500年前、蓮如上人の時代は、上人自らが
「御文章」の中でお述べになっておられるよう
に、「定命(じょうみょう:平均的な寿命)は
56歳なり」と言われた時代です。いや、しかし、
それはちょっと長すぎます。昭和の初期でさえ、
日本人の平均寿命は47~8歳だったと記憶します。
蓮如上人の頃は、40歳そこそこではなかったので
はないでしょうか。
そうすると上人は、普通の人の寿命より20年
も過ぎた頃、新しい大計画を樹て、それを数年
がかりで完成されたのです。さらに上人は82歳
の歳に大坂・石山に御坊を建立され、その門前
町が現在の大阪市の起源になったと言われてい
ます。
上人のこのようなものすごいエネルギーと
情熱のお陰で私たちが今、お念仏の教えにお値
いすることが出来るのです。
定年を過ぎたご老人たちよ、頑張れ。この世
代が体験し取得した、さまざまな貴重な精神的
宝物(お念仏もそうです)を永く後世に残すた
めに、もう一肌ぬいでほしいものです。
そういえば、『広辞苑』という字引をご存知
ですね。現在のわが国の数ある国語辞典の中で
最も有名な辞書だといってよいでしょう。
この『広辞苑』の最初の編纂者は文学博士・
新村出先生で、聞くところでは、京都大学
文学部教授を定年退官後、この仕事に着手し、
完成されたそうです。
また、京大には伊吹武彦というフランス文学
の教授が、昭和40年代の学園紛争の頃までおら
れました。戦後、京大フランス文学の三羽烏の
一人と言われ、流暢なフランス語だけでなく、
数多くの文学書の翻訳者としても、お若い頃から、
随分有名な先生でした。
しかし、定年退官後、ぱったりとそのお名前
を聞かなくなったなと思っていた矢先の昭和56年、
突然、新しいフランス語の大辞書が伊吹先生の
編纂によって世に出たのです。先生もまた、
定年退官後、つまり63歳以降に、ご専門を生か
した新しい仕事に取り組み、それを完成された
のです。年齢的に言えば、ちょうど、蓮如上人
の山科ご進出の時期と重なります。
ただ、ここで私たちは、「時代」の差という
ものを考慮すべきでしょう。
さて、その6通目が、福井県にある吉崎御坊
(現在は別院)建立に関する御文章で、それに
よると上人は、御歳57歳で御坊を建立され、
1~2年の間に参詣を制限しなければならぬほど
たくさんの参拝者が押しよせたそうです。
しかし折しも戦国時代の初期で、地方の豪族
間の戦乱に巻きこまれるのを避けて4年後、吉崎
を脱出し、61歳で淀川中流の出口(大阪府)に
坊舎を建て、さらに64歳で京都山科を本願寺
建立の地として選定し、3年後の2月に御影堂を
起工、同年11月の報恩講は新しい本願寺でお勤め
になっています。
ところで男子の平均寿命が76~7歳に延びた
現在でも、上人が山科進出を決められた64歳と
いう年齢は、役所や企業などに勤務のほとんどの
男性にとっては、すでに定年後のことであります。
この年頃以降の多くの男性は仕事を持たず、趣味
や健康維持に日々を送ることが多いようです。
もっとも、中には第三の人生と称して、新しい
仕事に励む人もいないわけではありません。
今の知恩院の三門の北側にあった小さなお寺
に過ぎなかった本願寺を、一代で日本一の大教
団に仕上げられた蓮如上人(1415~1499)は、
43歳で本願寺を継ぎ、85歳で亡くなられるまで
の40年余りの間に、250通以上の御文章(教義に
関するお手紙)を各地のご門徒に向けてお送り
になりました。
その御文章を集め、上人の孫にあたる円如上人
がそのうち80通を五帖に分けて編纂されたのが、
通称「五帖一部の御文章」です。
この御文章からさらに31通を選び、その他に
「白骨章」など音通を加えて拝読用の御文章と
称し、右の31通を毎月一日から各寺院の朝の
お勤めに際して一通ずつ順番に拝読することに
なっています。
そのほか野球には、野手の打球の処理、走者
の走塁等々、興味深いプレーがいっぱいありま
すが、球場でも、テレビからでも、ほとんど見
えないのが監督の心理状態です。
たとえば味方の投手が打ち込まれる。あるい
はチャンスが到来したが、打者が不調のようだ
という場合、投手を続投させるか否か、代打者
を出すべきか否か、また選手を交代させるとし
たら誰を指名するかなど。もちろん、投手交代
の場合は捕手やコーチの意見を参考にすること
はあっても、決断を下すのはすべて監督なので
す。
しかしながら、この場面での交代が成功する
か否かは、やってみなければわからない。交替
が成功したとしても、退けられた選手が、これ
によって精神的にくさってしまっては、以後の
戦力やチームの和に悪影響を及ぼすことになる・・・・。
外からではわからないが、監督の苦労は、だ
から大変なのです。
野球だけではありません。私たちはいつも当
事者の立場に立って物事を考えるべきです。た
とえば老人のこと、病人のこと、またそのご家
族の悩みなどを思い、いたわり、励ましながら
行動する。それが念仏者としての生き方です。
(豊原大成 『心の風景 Ⅲ』 自照社出版 2006年)
だから捕手は股間で、右手の指を握ったり、
パーを出したり、指を一本だけ出したり、二本
出したり、そのほか、あらかじめ打ち合せして
ある通りの指の形で投手にサインを送る。投手
はそのサインにうなずいたり首を振ったりして、
球種合意の上で投球する。
しかも一球目、二球目と同じコースに同じ種
類の球を投げないようにするなど、バッテリー
と打者とのかけ引きだけでも、その種類は無数
と言ってよい。
そんな球種をあれこれ予測しながら野球をみ
るほど楽しいことはありません。そしてそれを
可能にするのは、センター方向から、投手・
捕手・打者を大写しにするテレビ放送なのです。
(豊原大成 『心の風景 Ⅲ』 自照社出版 2006年)
しかしながら、野球場で見る野球は、実は甚
だ大味なものでしかないことをご存知でしょう
か。もちろん、目の前で選手たちの、投げる、
打つ、走るなどのプレーを見、声援を送るのは
楽しいには違いありませんが、野球の面白さは、
それだけではないのです。その一つはピッチャー
がバッターに対して投げる球種を見ることです。
ご存知と思いますが、投手の投球には、直球、
カーヴ、シュート、シンカー、スライダー、
フォークボールなどいろんな種類があります。
投手はそれをアウトコース、インコース、高目、
低目などに投げ分ける。
そしてバッテリーは(ピッチャーとキャッチャー)
は、出来るだけ打者の苦手なコースへ、苦手な
球を投げる。あるいは打者が予想する球種を外
すようにする。そのためにサインを交換して球
種、コースを決めるわけです。
(豊原大成 『心の風景 Ⅲ』 自照社出版 2006年)
今年も早は秋の彼岸会の月になりましたが、
それにしてもこの夏(平成15年)は、ヨーロッ
パや中国の猛暑、インドや日本各地の豪雨など、
世界中が異常気象だったようです。そのために
災害を被られた方がたのお苦しみは、第三者に
は測り知れないものがあると思います。せめて
心からお見舞申し上げます。
ところで今年は、プロ野球阪神タイガースの
ブームの年でもあるようです。甲子園球場には
8月の全国高校野球選手権大会にも連日大勢の
応援団が押し寄せましたが、それにも増して、
タイガースの試合になると毎回5万人を超す
観衆が入場しているそうですね。タイガース・
グッズの売れ行きは上々らしいし、憂鬱な不景
気風をブッ飛ばすのには、まことに結構なこと
と言わねばなりません。
(豊原大成 『心の風景 Ⅲ』 自照社出版 2006年)
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