ところで、私が入手した『十住毘婆沙論』
の各冊の最後には、"癸卯歳、高麗国分司
大蔵都監奉勅彫造"と印刷されています。
さて、経典のみならず、すべての書物は、
もとは手書き、つまり筆写でした。それが木版
によって一切経、大蔵経として、中国で印刷
されたのは、今から千年あまり前の宋の時代
の蜀版。
ところがそれに依拠しながらその数十年後
に、朝鮮半島北部の高麗国で、外敵契丹兵を
やっつける祈願のために、新たに造られたの
が高麗再雕版で、"癸卯歳"は、たぶん1243年
のことと思われます。
というのは、元が我が国へ来寇したのは
文永11年(1274)と弘安4年(1281)だから
です。
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