このように六波羅蜜の修行によって仏となる
ことは、ほとんど(すべて)の人間にとっては
なはだ難しい道だからこそ、これを難行道と
いうのですし、難行道で仏になることできない
からこそ易行道としての念仏が、私たちに
とって掛け替えのない道であるわけです。
ところで、今日の社会は、まさに"混迷"を
きわめています。そしてその最たるものが
一部の学校教育の現場でしょう。校内暴力、
学級崩壊などの言葉を耳にしてすでに久しい
のですが、その都度取りざたされるのが、
子供たちの"切れる"という事態です。
"切れる"とは、いわゆる"堪忍袋の緒が
切れた"に由来する語で、子供たちが突然
わめき出し、暴力を振るうときの心理状態
をいう表現のようです。
しかし、今の世は、あげてぜいたくになり、
冬の寒さも夏の暑さも、空腹も貧困もほとんど
ない。苦しみは病弱者などの社会の一部に
依存するものの、ことに親や社会の手厚い
保護の中で就学している生徒たちにとって、
"堪忍袋に"など一般的はほとんど必要が
ないはずです。
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