2008年12月アーカイブ

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 腰痛を診てもらうために病院へいった時のことです。その日は小雨が降っていました。
 整形外科外来患者専用の待合室の他に、4~5室並んだ診察室の前の幅2メートル余りの廊下の片側に長椅子が連なり、順番待ちの患者や付添いの人たちが2~30人、坐っています。その前を看護婦さん、事務員、作業員、杖をついた人、車椅子の人、よたよたと足もとのおぼつかな気な人・・・その他が絶え間なく通り過ぎて行きます。
 ところが、私の座っている場所から4~5メートル離れたところで、どうも通り過ぎて行く人びとの様子がおかしい。何故だろうと思って、よく見ると、膝の上に2~3才ぐらいの子供を抱いた若い母親らしい人の前の床に、その人の持物らしい雨傘が1本、廊下と直角の方向、丁度、通行の邪魔をするような形で、ころがっているのです。通行の人びとの様子が変だったのは、この傘のせいだったのです。
 見るに見かねたので、身体をのり出し、傘を指さして「危ないですよ」と声をかけると、何と、抱いている子供を膝から降して、傘を拾わせた。件の女性は、こちらに会釈一つしません。傘が転がっていることにその時はじめて気がついたらしい様子でもない。通路の邪魔をしているのも解っていたのではないか。ただ、拾い上げるのが邪魔くさいから放置していたとしか思えません。
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 自分さえよければ他人の迷惑は一切顧みない、その公徳心の欠如、その無礼!!
 ああ、こんな母親に育てられる子供は、一体、どんな人間に成長してゆくのか。また、こんな人が多くなったら(事実、だんだんふえてきているようですが)世の中は将来、どうなるのだろうかと、腰のことも忘れて暗澹たる思いでした。
                                                                            合掌

さる所で、ある店の若い番頭を紹介されました。
  彼曰く、
  「先代さんには、お世話になりました。」
  私はその店へは1~2度しか立寄ったことが無いが、「デザインが良いよ」と、 いろんな人に勧めてきた。つまり私も世話してきたのです。
  そんな事は知らなくても構わない。きまり文句、「いつも御贔屓に」とだけ言っ とけばよいのに、あの一言で、客(一人+α)を失ったのです。
  因みに、父は平成7年1月に亡くなっています。

 地理的にも便利なので、さる大型の薬局に、これも時々立寄っていました。
やはり春先きか、その一月ほど前にそこで買った同じ栄養剤を買いに行くと、
「無い」。
「前回、ここに在ったんだがなあ」というと、若い男の店員が、
「どこか、よその 店だったんでしょう」とのこと。
 これも無礼。
 以後、専ら「よその店」へ行くことにしています。

今年気に障った一言を三題、歳末の掃除で御免被ります。

第1題■■
 全国的なチェーンの寿司屋で、値段も手頃、味も悪くない店に、もう20年以上、 或る時は一人、ある時は数人つれで、立ち寄っていました。
  店長以下、次第に顔触れが変ってゆくのですが、春先、新顔と思われる若い板前 の前の席にその時は一人で坐っていました。
  三度目ぐらいのオーダーの時、注文と違うネタだったので、「これは違うよ」と いうと、ふくれっ面で黙って引き取る。「僕は、このネタ、食べたことが無いんだ(だ から注文する筈が無い)」と言うと、「そんな事はこっちの知った事じゃない」とい う。
  隣で握っていた店長が驚いて、私の横にやって来て、丁寧に謝ったので、「いい ですよ」とは言ったものの、以後、その店の暖簾はくぐらないことにしました。



勤務の都合で自宅を離れ、一人宿舎に居る。夜中に激しい痛みに襲われる。じっと我慢している時、柄にも無くふと思い出したのが俳人・芭蕉の句でした。
「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」
私は芭蕉のことは何一つ勉強したことはありません。だから、ただその句の感じから、多分これは芭蕉が、東北かどこかの秋の野辺に病んで詠んだのだろう。それにしても、私は建物の中に居る。柔かい寝具もある。何ほどか薬もある。彼の場合、唯一人、万目蕭寥たる荒野に伏しての感懐だろう。淋しさもさぞかしだっただろうと、漠然と考えていました。
 ところが、つい先日乗った新幹線の中で手にとった車内雑誌『ひととき』11月号に、何とこの句の解説が出ていたのです。
 それによると芭蕉が1694年、数え年51歳で死んだのは今の大阪市の南北を貫く最大のメインストリート御堂筋に面した東本願寺難波別院の前の辺りにあった花屋の貸座敷に泊っている間のことだというのです。緑地帯の植込みの中に、その碑まであるそうです。彼は2人の弟子が仲の悪いのを気にして、故郷の伊賀から来阪し、仲直りのために苦慮し、その心労が芭蕉をして死に至らしめたというのですが、何と芭蕉は上の句を、死の3日前に詠んでいるのです。
 なお御堂筋の名は、数百メートル北に並び立つ西本願寺津村別院【通称北御堂】と共に、両院が面していることから、大幹線開通に当って名づけられたものだそうです。
 でも当時、その辺り、今の難波別院など無かったんじゃないか。大阪も未だ「枯れ野」だったのではないかと一瞬思ったのですが、難波別院(敷地約5000坪)は1598年つまり芭蕉の死に先立つ約100年前に建立されている。従って芭蕉終焉の地は、当時、恐らくは賑かな門前町の一角だったのでしょう。
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 「東北の山野・・・」など、いい加減なことを考えていると、大恥をかくところでした。だから昔から
 「生兵法(いい加減な武術)は怪我のもと」
などという諺もあるわけですね。
 以上、腰痛軽微化の喜びと共に。
                                                                            合掌

腰痛 その2

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腰痛に関しては、以前から週1回ぐらいマッサージの治療も受けているのですが、他からのアドバイスもあって、先般、某病院でレントゲン検査を受けました。「クシャミ骨折」などということもあり、本人も気がつかぬ間に骨にひびが入っていることもあると聞いたからです。
 検査の結果、幸いに骨には異常が無いことが解ったのですが、検査中、痛い目にあった。 ガラスの寝台に寝かされて、"あっちへ向け、こっちへ向け、脚を曲げろ、伸ばせ"で、その苦痛たるや、思わず悲鳴を上げた程です。
 そしてそのあとで、今度は出来上がった原寸大のレントゲン写真のフィルム6枚ほどを吊り下げた診察室で、別の先生に、また同じようなポーズをとることを要求され、実はそれ以後、痛みが一層激しくなったように思います。
 これは別に先生達を怨むわけではないのですが、レントゲン写真撮影という方法に忠実であろうとすると、整体やマッサージでは触らない部分を侵してしまうのだということでしょう。
 世の中には、ある方面から見て肝要でも、他の角度から見れば触れていけない問題も一杯ある。そこを如何に調節し、最善の道を選ぶかが、本当の成功の鍵になるのだと、今回も、あらためて思い知らされました。

腰痛 その1

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 ここ1~2ヶ月、腰痛で苦しんでいました。
 腰痛の最初は昭和51年11月、夜更け、床の上で廻していた手動の謄写輪転機を片づけようと持ち上げた途端にやって来たギックリ腰です。それ以来、時々腰痛にやられる。 その原因は区々だと思うのですが、今回のは、どうも月に5~6回、東京と関西とを往復する新幹線のシートとの相性が悪いからだと考えています。背もたれが内側に湾曲していて、その上端が後頭部を圧迫するので、坐っていても、落ち着かない。姿勢が悪くなる、というわけです。旅客機のシートにも同じようなことが言えますが、先月乗った東北新幹線は、乗客が自分の好みの高さに上下できる柔かい枕のようなものがついていて、あれはいいな、と思いました。
 さて、その腰痛に関連して思ったことを、他にも1~2書かせていただきます。


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 まず第一に、腰痛に限らないと思いますが、とに角、頭でもお腹でも歯でも、痛い所があると、他の身体的機能まで弱りますね。
 原稿が書けない。校正すら綿密に出来ない。
 ちょっとしたことが邪魔くさい。たとえば、物を机の上に置くのに、ついつい放り出してしまう。うまく置けないから、もう一度、手を出して、正しく置き直さなければならない。時には床に落ちることがある。すると痛い腰を曲げて拾い上げねばならない。1回の不精が、2回3回の作業を必要とさせるのです。
 
 幼い頃、育てられた祖母から
 「"貧すりゃ鈍する"、という諺がある。失敗が次の失敗を呼ぶ。何事にも最初の注意が肝腎」と教えられたことが、6~70年経った今になって、痛切に思い出されます。
やはり、「親の意見(忠告)と茄子(なすび)の花は千に一つも仇(あだ)【無駄】が無い」ですね。おや、これも祖母から教えられた諺です。


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