エスカレーターを多分、靴裏に打ちつけた金具でガチャガチャと音を立てて昇って行く若い女性。車内には自分たちだけしか乗っていないと思っているかのような傍若無人な態度の学生たちに腹を立てながら寺の前まで帰ってくると、庫裏の勝手口のところで、寺から出て来たTさんに、バッタリ出逢いました。
彼女は既に81~2才。流石に顔はしわだらけですが、それでも元気で、1キロほど離れた自宅から、折々に自転車でお参りに来ます。しかし今日は、どうやら新春のお供えを届けに来てくれたようです。
「やあ、お久しぶり。お元気で何よりですね。」
と、お互い同じような挨拶を交して、さて彼女、自転車に乗って立ち去るのかと思ったら、そうじゃない。
そのままハンドルを押して山門の方へ歩いてゆくので、「ははあ、これは、本堂に向かっておじぎをしてから乗るつもりだな」と思っていると、門前で一礼し、またそのままハンドルを押して、曲り角まで歩いて行きました。
そこで私は、はじめて気がつきました。
「そうか。彼女、私の見ている所では自転車に乗らないつもりだったんだな。」
恐らく、彼女は角を曲ってから自転車に乗ったのでしょう。
この礼儀、敬い。勿論、自転車だから出来るのですが、先刻の騒音地獄から一転して、浄らかな佛の世界に帰って来たような喜びを味合わせてもらいました。
歳末の一日、東京の朝は風が冷たかったが、空は美しく晴れていました。
用務が終って丁度正午発の「のぞみ」に乗りましたが、「小田原」を過ぎた頃から、空いていた北側の席に移ると、やがて丹那トンネルを抜け、「新富士駅」のあたりで、右側中腹の宝永山もふくめて、殆んど視野一杯と言ってよい、中程から上、満面美しく雪化粧をした富士山の姿を眺めることができました。
実を申しますと、3月末に東京・築地に着任以来、月数回、関西との往還だったのですが、移動が殆んど夕刻以後だったこともあり、この9ヶ月で、「衣の裾を遠く引く」富士のお山を楽しめたのは初めてでした。
そのあたりから4~50分で名古屋、そして木曽川、「岐阜羽島」、長良川を過ぎ、関ヶ原にさしかかった頃から、空には雲が出、山々が淡く雪化粧をしているなと思っていたら、あっと言う間に、田も畑も村々も一面真白。それが「米原」を過ぎて「大津」のちょっと手前まで続き、所々で雪が横なぐり、車窓にも滴が垂れていました。
私は寒いのが嫌いで、文字通り避寒のために、冬期には度々インドをはじめ南国の旅をしてきました。併し、こうして、まさに束の間ですが、移り変って行く雪景色を車窓から眺めるのは何とも言えず楽しく、この美しい日本に、美しい心の人たちが満ち満ちたらと願わずには居れませんでした。
列車は定刻通り再び晴れ上った京都駅に滑りこみ、会期あと2日になっていた、京都大学総合博物館での「シルクロード発掘70年-雲岡石窟からガンダーラまで」を見学し、ほんのちょっぴりですが私も体験した50年昔を想起していました。
以前、私が大阪府下の本願寺堺別院に勤務していたころ、やはり同じ別院勤務のS君が結婚することになり、私はその結婚式の司婚の役を務めました。
その後、一年余りしてS君夫婦は可愛い女の赤ちゃんに恵まれたのですが、私が別院を退任して以後も、折々に親子3人づれで、私の所へ挨拶に来てくれます。
そんな中、何時だったか、大人同士のおしゃべりに、放っておかれた赤ちゃんが、むずかりはじめました。
「はて、何か玩具でもあれば・・・・・・」
と思ったのですが、勿論、私の手もとにある筈が無い。
そして、ふと思い出したのが、空になったプラスティック容器でした。
私は戦時下に育ち、それでなくても、何でも物を大切にという教育を受けていましたから、物を捨てるのが苦手なのです。ティッシュペーパー1枚でも、どうやって有効に使おうかと考える癖がついていますので、時どき自分で買ったり、他所様から頂戴したりしたカスタードプリンなども、食べ終ったら、空になったプラスティックの容器を、そのままゴミ箱に捨てる気にならず、一たん洗ったものが、いつのまにか20個近くもたまっていました。
「そうだ、あれなら危険性も無いし」
と考えて、台所から持ってきて赤ちゃんの前に置いたところ、さあ、その容器を取り上げて、1人夢中になって遊んでくれました。
その後、東京で勤務するようになって、同様に、プラスティック容器を保存していたのですが、さる夕刻近く、宿舎の前で遊んでいた職員の子供たち数人に、それを持って行くと忽ちに奪い合い、年長の子は、マジックペンで、それに顔を画いたりして、楽しんでくれたそうです。
物には生命が2度も3度もある場合があるのですね。
ただし、物を消費しなければ売れなくなる。売れなければ生産を減らさなければならない。そうすると人手も多くは要らない・・・・・・、というコースをたどること必定です。 しかし、ここ何十年も何百年も、世界の文明は上の逆の方向に走っていた。今、自動車は世界中で9億数千万台が走り、年々8000万台ほどが生産されている。そして5000~6000万台が廃車になるのだそうですが、こんなに作り、こんなに棄ててよいのでしょうか。「車」だけでなく、百貨店でもスーパーでも、殊に女性の衣類など、「これは作りすぎではないのか」と、何度か思いました。機械文明の発達によって、少人数で大量の仕事が出来るようになったからです。
今や、その路線では、やって行けないことが世界的に明らかになってきたのですが、では、余ってくる人的エネルギーを、何に振り分けるかが、本当に大問題ですね。政治、経済をリードする方々、どうぞ良い路線を、早く見出して下さい。
いや、私たちは心を深めることこそが、今後の文明の方向だと思うのですが、如何でしょうか。
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