本堂の内陣、御本尊を安置した須弥壇(甲板は通常、畳数枚敷の大きさがあり、美しい極彩色の唐獅子牡丹〈本願寺派〉や、金箔を押した龍〈大谷派〉の彫刻を、上下の框よりも細くしぼった腰の部分に施してある)の手前に、香炉や佛華やローソク立を並べた間口2~3メートル、高さ1メートル余りの朱塗りや金箔押、腰の部分が彫刻、彩色された大きな卓(これを前卓と呼ぶ)を置きます。その手前に、髙さ20~30センチ、一辺70~80センチの方型の台、その上に方型に仕立てた畳を置き、大きな法要に当っては、導師がそこに登って読経する。この畳も含めた台のことを礼盤と呼びます。礼盤の向う側(前卓との間)に礼盤の畳の面より30~40センチ高く、間口が礼盤の一辺よりやや大き目で、奥行きがその半分ぐらいの卓(これを向卓という)、礼盤の左側に向卓よりもやや小形の卓(これを脇卓という)を置き、礼盤の右側に、ほぼ方型の枠で下部に雲形または猫足形のデザインの脚を方型の枠とは直角の方向に前後につけ、上部の両端につき出た部分を渦巻状にデザインした(これを蕨手先という)台を置き、その枠の中程に、通常は横幅20センチ前後、高さ10センチ程、厚味が1センチ前後の山型、あるいは「へ」の字型の銅製楽器を飾り紐で吊す。この楽器が磬です。読経の前後や中間の区切り目に、先端に象牙製で直径2~3センチの球型の頭をつけた細い枚(桴)で導師が磬の撞座を叩くとチンという音(余韻は長くない方が良い)がします。

磬は現在はほぼ100パーセントが銅でつくられており、これを銅磬と呼びますが、昔は何パーセントかは鉄で造られていました。これを鉄磬と称します。
ただし磬はもともと磬石といって、薄く剥がれ、叩くとチンと鳴る石が用いられていました。だから、音声を意味する殸の下に石と書くのです。
また、形の大小によって叩くと高低の異なった音を発することから、これを大きな衣桁のような架台に例えば12音階などの順番に吊して、編磬と称し、楽器としました。
(後に磬の代わりに小さな鐘を吊して、編鐘と称するものも行われました)
佛前での読経に当ってその開始や終止などの合図として、中国に於て、まず用いられた楽器が磬で、これは編磬から1つだけ取り出して磬架に吊したので特磬とも呼ばれたようです。
日本に仏教が伝来して以来、奈良仏教は勿論、平安時代に盛んになった天台、真言両宗でも、磬が用いられていました。
磬は、古式のものは片面に撞座のみを有する単純なデザインだったようですが、一般には裏表は無く、表面には撞座を中心に、蓮華唐草文や左右から向い合った鳳凰が浮彫りの形で鋳造されていますが、撞座だけの無文磬と言われるものもあり、全体の形も雲形や蝶形、開敷蓮華形など各種あります。
なお「磬」は、中国北部の発音で「ケイ」と読んだのですが、唐・宋時代の、殊に長江(揚子江)流域で行われた唐・宋音では「キン」と発音したと思われます。
磬は現在はほぼ100パーセントが銅でつくられており、これを銅磬と呼びますが、昔は何パーセントかは鉄で造られていました。これを鉄磬と称します。
ただし磬はもともと磬石といって、薄く剥がれ、叩くとチンと鳴る石が用いられていました。だから、音声を意味する殸の下に石と書くのです。
また、形の大小によって叩くと高低の異なった音を発することから、これを大きな衣桁のような架台に例えば12音階などの順番に吊して、編磬と称し、楽器としました。
(後に磬の代わりに小さな鐘を吊して、編鐘と称するものも行われました)
佛前での読経に当ってその開始や終止などの合図として、中国に於て、まず用いられた楽器が磬で、これは編磬から1つだけ取り出して磬架に吊したので特磬とも呼ばれたようです。
日本に仏教が伝来して以来、奈良仏教は勿論、平安時代に盛んになった天台、真言両宗でも、磬が用いられていました。
磬は、古式のものは片面に撞座のみを有する単純なデザインだったようですが、一般には裏表は無く、表面には撞座を中心に、蓮華唐草文や左右から向い合った鳳凰が浮彫りの形で鋳造されていますが、撞座だけの無文磬と言われるものもあり、全体の形も雲形や蝶形、開敷蓮華形など各種あります。
なお「磬」は、中国北部の発音で「ケイ」と読んだのですが、唐・宋時代の、殊に長江(揚子江)流域で行われた唐・宋音では「キン」と発音したと思われます。
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