我れを生みて劬(=苦)労す

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 日ごろ親しくしていただいているG寺の御住職の御母堂が亡くなられ、お葬儀にお参りさせていただきました。
 御住職からお聞きしたところ、故人は大正10年1月生れで、御両親(先々代住職夫妻)の独り娘。昭和17年に婿養子を迎え、一男一女をもうけられたのに、昭和22年、数え年
27歳の時、御夫君が逝去され、以後数え89歳で御自身が逝去されるまで、実に62年間を独身で過ごされたそうです。
 その間、御両親に仕え、あの戦争直後の衣・食の困難な時期に2人の子供を養育し、お寺を護持されただけでなく、幼稚園々長の仕事を先代住職(御実父)からバトンタッチされて運営し、御令息が住職に就任されて、多少の時間的余裕もおできになって以後、同じ幼児教育に携わっている方々と共に東ヨーロッパ各地から、近代西洋教育学の原点というべき、ジャン・ジャック・ルソーの跡まで訪ねて研鑽を積まれたそうです。
 お若い頃、身体が大きくて、75キロもあった体重が、御晩年、10年近く寝たり起きたりの生活をされている間に痩せて、最後は30キロほどになっておられたとお聞きしました。
 まことに女性、母、娘、坊守(お寺の奥さん)、幼稚園々長の各方面にわたって、まるで亀鑑のような方だったのです。

 明治から大正にかけてお生れになった女性では、似たようなお話をお聞きすることがあります。実は、この日曜日、平成5年に亡くなった門徒の御婦人の17回忌にお参りしました。今の御主人、つまり故人の息子さんが、お母さんのお腹で6ヶ月の時、お父さんが亡くなった。昭和21年6月だった。その後、お母さんは無事出産し、お舅さんに仕えながら、お念仏もろともに息子さんを育て、家業を興隆せしめ、77歳で亡くなられた。
道理で私は、お舅さんの顔は知っていたが、御主人の顔は知らなかった筈です。この婦人の人生も、ほとんどただ一人の息子さんのためだったと言ってよいのではないでしょうか。
 "女性は偉い" などと言われる所以ですが、私たちが一々知らないだけで、立派な女性があちこちに居られたのですし、今も、これからも居られるに違いないと思います。
 私自身の場合も、古語「哀哀たる父母、我を生みて劬(=苦)労す」という思いが脳裏を離れないのです。いや、両親だけでなく、その他、たくさんの方々に様ざまな御苦労をおかけしながら、今に至っています。

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