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 食べ物の"味"には、いろんな分野があります。
 まず、甘、辛、酸。
 勿論、甘の中にも様々、辛も様々、酸も様々ですが、味覚の代表として取り上げるべきは甘、辛、酸だろうと思います。
 次が硬、軟です。硬い肉、軟かい肉といった具合。
 第3が温度でしょう。冷たい水、なまぬるくなった汁物、熱あつのうどんなど。
 第4が乾湿。たとえば煎餅やおかきはパリッと食べられるのがよいので、じめじめしていては食欲も引込みます。
 もっと具体的に述べるといいのですが、引例によっては誤解を招きかねませんので、事例や説明の不充分な点は、何とぞ御寛恕下さい。
 なお、味の大切な要素として鮮度がありますが、これは上の1~4全部に関係するので、項目としては除外します。また、私はいわゆる食通でもなく、いわんや評論家でもありませんので、もしかしたら見当違いかも知れない勝手な所論、予じめ御容赦をお願いしておきます。
 さて、家庭での料理は暫くおき、いわゆるレストラン、料理店などで会食する機会が私の場合、月に何回かあります。洋食もあり寿司屋も含めて和食もあり中華もあり、近頃は焼肉店にも参ります。
 もっと若い頃、父が存命中は、どちらかと言えば私は魚を食べ、老境に入った父が牛肉類に手が出るので、"食に関しては父の方が若いのかな"などと思っていましたら、私も次第に老境に入って、近頃、やはり子は親に似るものだと思うようになりました。
 「子は一生かかって親に似る」という諺があったと思うのですが、昔の人は流石にうまいこと言っていますね。


 ところで、そのような会食の場で屡々思うことは、この店の料理は全体として醤油辛いとか、何となく甘いとか、或いは万事、淡味だなどということです。勿 論、味覚は人によって区々ですし、例えば京料理のように淡味を以って本とすることだってありますから、自分の感じが正確だとか普遍的だなとは申しません が、同席の人々も同じ感想を口にされる場合も少なくありません。
 そんな時、思い出すことがあります。
 その一つは40数年前、知人と3人でカンボジア(アンコール)、バンコク、クアラルンプール、ペナンを経てシンガポールに着き、そこのホテルで食べた中 華料理、もう一つは30年ほど前、震災で亡くなった娘もつれてシルクロードの要衝、敦煌を訪問しての帰路、古都西安のホテルで食べた、これも当然ですが中 華料理です。
 ホテルの名前も、具体的に何を食べたかも憶えていませんが、良かったと思うのは、その料理の出し方です。
 まず、オードブル。その多分10数種の料理の一つ一つが、先述の甘辛酸、硬軟等が違う。さて続いて出て来る料理が、これまた甘辛酸、硬軟、温冷等が明確 に際立ち、しかもたとえば甘・辛・酸等の順序が絶妙、まるでテーマ(主題のメロディー)やリズムが全く異なる音曲が次々と巧みに配置され演奏される音楽の ように、胃袋は次第に満たされて行くのに、食欲はまるで尽きない。それどころか次はどんな料理かと興味津々でした。
 だから私たちの周辺でも、料理の種類によっては困難かも知れませんが、次々と品数が出て来る場合には、その味付け、出品の順番などに、更に一工夫、変化を加えることによって、お客さんたちに更に一層楽しんでもらえる店もあると思います。
 尤も私の知人の一人は、こんなことを言っていました。
 「僕は、余程美味いもの、極端に不美味いものはわかる。他は何を食べても、あまり変らないな。」



                                      付言

 私の弟の一人は食事が速い。私が2品目に箸をつけている頃、すでに黙々と4~5皿を平らげて、お茶を飲んでいることがよくあります。
 作っている彼の奥さんは、もうすっかり慣れているだろうと思いますが、およそ"愛想"も"愛嬌"も無いというべきです。飾り気も悪気も無い、彼の人柄の表れかも知れません。
 反して私、50余年前、結婚当初、折々に妻の実家で御馳走になりました。
 義母は通常は人まかせの買物を、私が訪ねる時には必ず自分が出かけて食材を買ってくる。そして義妹達や愚妻と、3~4人がかりで延々と料理をつくる。そ の間、義父が私の話相手になってくれるのですが、幼い頃、学友だった徳川夢声氏のエピソードをはじめ、その頃から更に4~50年前の話。出てくる人名にし ても知らない人が多い。いつだったか、話を聞きながら、不覚にも居眠りしてしまったことがありました。
 さて、そのようにして出て来た料理。どれもこれも美味しいのですが、それがどう美味しいのかを私が言う。義母はそれを聞くのが楽しみだったようだと、後になって亡妻が話していたことを思い出します。

 なお、仏教では、本来、出家者は毎朝の托鉢または信者の招待、供養によって、毎日午前中に(太陽が真南に達するまでに)食事を終えるべしと戒律で決められています。
 そしてその際
 「味の濃淡を問はず」
 「品の多少を選ばず」
 「おいしいね」「まずいな」「もっと」などと言っても、いけないのです。
 食は修行に必要な体力を保持するためのものだからです。

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