悪石島

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 朝食を摂りながら、「皆既日食で悪石島が有名になったが、ここは悪女島、悪妻島ではないかな」と若坊守(住職後継者の妻)をからかっていたのですが、「悪女島」どころか「鬼女島」の話が、仏典(仏教の典籍)に出て来るのです。
 ジャータカ(お釈迦さまが前生=本生において、どのような善根功徳を積まれたかの物語を集めた経典の一種)の中に「雲馬王本生譚」というお話があります。以下はその一部です。

 500人の商人たちが、船に乗って貿易の旅に出た。嵐で吹き流されたが、流れついた島は美しい女性ばかり。忽ちに心を奪われてそれぞれ臥所を共にしたが、女は真夜中に寝床を抜け出して、どこかに行く。帰って来た身体は氷のように冷たい。あまり不思議なので後を追い、さまよっているうちに、高い塀の中から男たちが、顔を出して言う。「ここは鬼女の島だ。流れ着いた男に魅入り、飽きると俺たちのように囚われて、そのうちに食われるのだ」
 恐ろしさに、思わず仏の名を称えると、空中に天馬が現れ、男たちは、その首といわず、脚といわず、尻尾といわず、つかまって、鬼女島から脱出できた。
 しかし、餌食になってもいい。それまでは鬼女との快楽の日を送りたいと、脱出しない男たちも半数いた、と。(部分的に異説もあります。)

 この話、可成り広く伝えられたらしく、2世紀前後に中インドの仏教の中心地の一つとして栄えたマトゥラーで発掘された仏塔の玉垣の柱石の彫刻として、今に残っています。(現在カルカッタ、インド博物館藏)
 他方、カンボジア、アンコール遺跡群の一つ、13世紀頃の建造でしょうか、ネアク・ポアン寺院(一辺70メートル余の方形に造られた池の中央に、とぐろを巻く大蛇に囲まれ、中央に観音堂が建てられている島がある)の島の東側の池の中に、男たちがしがみつく大きな天馬の彫刻があります。これも、同じ本生譚を具像化したものでしょう。

 要は快楽に身を持ち崩さぬこと。み仏(菩薩)の導きによって、真の幸福の世界に飛躍せよ、という教えなのです。"わかっちゃいるけど、やめられない"とかいう歌も一時流行しましたが。

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