ところで「無為」あるいはその反対の「有為」の語は、仏教と世間一般とでは、実に全く正反対といってもよいほど用い方が違うのです。まず、世間一般の用法ですが、
「彼はなかなか有為(ゆうい)な青年だ」
というと、才能ある、役に立つ青年、というように、良い意味に使われます。
逆に、「3年間、無為に過した」というと、何も為すこと無く、無駄に月日を送った という、悪い意味で用いられます。
しかし仏教では反対なのです。
ここでも前置きが些か長くなりますが、皆さん、幼き日々を想い出して下さい。
昭和12年4月、小学校入学の場合、『尋常小学国語讀本』巻1の上(名称はうろ憶えです。間違っていたらお許し下さい)の最初の章は
"サイタ サイタ サクラガ サイタ"
見開き2ページに、下に挿画を入れてありましたね。
その次は、"コイコイ シロ コイ""ススメ ススメ ヘイタイ ススメ"
と章が進んだと記憶していますが、教科書の一番後に一覧表があって、アイウエオ、カキクケコのいわゆる五十音を教わったように思いますが、如何でしょうか。
なおこの50音は、伝説によれば、弘法大師が発明した。それも、インドの古典語サンスクリット(梵語)に準拠したのだと言うことです。
尤も日本語の場合、母音はアイウエオの5音だけですが、サンスクリットには母音が、ア、アー、イ、イー、ウ、ウー、リ、リー、リ、リー、エー、アイ、オー、アウと14もあるのです。(但し、リ、リー、リ、リーは便宜上の仮名書きです。)
『無量寿経』というお経の末尾に近いところに、"この私たちの世界だけでなく、他方十四の仏国の無数の菩薩たちも、阿弥陀如来の仏国に生れてゆく"とあ り、『観無量寿経』というお経では、"極楽世界には東、西、南、北、四維に合計八つの池があり、その一々の池の水が十四の支流に分れる"と説かれていま す。この場合の十四仏国や十四支は、母音の十四音と付合するなあと思ったりしています。
さて、アイウエオの次に憶えるのは"イロハ"ですね。
いろはにほへと ちりぬるをわか よたれそつね ならむうゐのおく
やまけふこえて あさきゆめみし ゑひもせす
子供のころは、何のことか解らずに、「いろは」を上記のように口ずさんでいました。
しかし、これが、実は大変な歌だということが、あとになってわかりました。
"色は匂へど 散りぬるを 我が世 たれぞ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず"
昔は仮名に濁点や半濁点はもとより、点や円の句読点もつけなかったので、「いろはにほへと」などと読んだのですが、これは勿論、「色は匂へど」だったわけで、更にこの歌は、『大乗涅槃経』(40巻)(聖行品第7の4)に出てくる
諸行無常 是生滅法
生滅々已 寂滅為楽
という聖句を、伝説によれば、これも弘法大師が、上記のような歌に作り直されたというのです。
これも小学校ですが、5~6年生ごろの国語の教科書に、たしか「雪山童子」とかいう題で、次のようなお話が出ていたと思います。(-但し、念のため、信 頼すべき同年の学友に確かめたところ、彼曰く「そんな話は知らん」とのことでしたので、或いは何か私の錯覚なのかも知れません。その場合は、どうぞ、お許 し下さい。猶、お話は、私なりの潤色・解説が混っていることを御了承下さい。)
昔々、若者が、たった一人、さとり(仏の智慧)を求めて、雪山(インドの北、ヒマ ラヤの山)で厳しい修行をしていました。
ある日のこと、どこからともなく歌がきこえてきます。
「諸行無常 是生滅法」
若者は、「これだ!」と思いました。
"色は匂へど 散りぬるを 我が世 たれぞ 常ならむ"
"あらゆるものは 片時も休み無く、どんどん移り変って行く。人間もそうだ。幼い 子は成長する。しかし、若い、元気だと思っていても、やがて何時の間にか老い、病 み、そして必ず死ぬのが定めなのだ"
"まことにその通りだ。これこそ私が求めていた真理だが、しかしこれでは余りに淋 しい。この歌には、きっと後半があるに違いない。それにしても、一体だれが、こん な尊い歌を歌ったのだろう"
そう思いながら、童子は、そこらじゅうを見廻しました。
すると向こうの方から、恐しい姿をした羅刹(鬼)が1匹やってくる。
"まさか、あんな尊い歌を、恐しい羅刹が口ずさむ筈がない"と思ったが、他に声の 主らしい者は全く見当りません。
念のため、童子は羅刹に尋ねました。
"さっきの歌は、あなたが歌ったのですか"
"ああ そうだ"
と羅刹は答えました。童子は、
"では、お尋ねします。あの歌には、あと半分、あるのではありませんか。あれば 教えてほしいのです"
と言いました。羅刹は
"ああ、あるよ。教えてやってもいいが、俺は今、腹ぺこなんだ。食べて、空腹でな くなったら教えてやろう"
"あなたは、何を召し上がるのですか"
"驚くなよ。俺は人間の血を飲み、肉を食うのだ"
その時、童子は申しました。
"よろしい。わたしを食べて下さい。しかし食べる前に、歌のあと半分を教えて下 さい。それを聞いた後、私のからだを、あなたにを差し上げましょう"
"よし"
と羅刹は言って、歌の後半を歌いました。
"生滅々已 寂滅為楽"
"生"も"滅"も無くなった、それらを超越した静寂の境地をもって楽と為す"
"有為(迷い)の奥山 今日越えし 浅き夢見じ 酔ひもせず"
"今や奥深い迷いの山を越えて 浅はかな夢を見ることも
その夢に酔うこと無く 浄らかな悟りの境地に到ろう"
この歌を聞いた雪山童子は「これこそ!」と思い、そこらじゅうを走り回って、岩は だと言わず、樹の幹といわず、地面といわず、手の届く限りの所に、 この言葉を書きつ らねました。これこそ自分が求めていた、人類永遠の真理、そして永遠に人びとに伝え 残すべき聖句だ。青年は、これを後の世の人びとに も残そうとしたのです。
そして、ひとしきり走り回って書き終った青年は、かたわらの大きな樹の上に登り、 さっと、地上に向って身を投げました。地面に身をたたきつけて、約束どおり、羅刹の 餌食になろうとしたのです。
その時、不思議なことが起りました。
恐ろしい羅刹の姿が消えて、尊い帝釈天のお姿になり、帝釈天は、その掌に、しっか りと雪山童子を受けとめ、うやうやしく童子を捧げて言いました。
"我は帝釈天なり。雪山童子の心を試さんと、仮に羅刹の姿となって現れたり。
童子は、身を棄てて真理を求め、それを後世に、永遠に残さんとした。その善行、
善根功徳によって、やがて仏となるだろう"
「有為(うゐ)の奥山」とは、深い深い迷いの世界のことだったのです。
それにしても昔は良い時代でしたね。こんな尊い教え、物語を、小学校の教科書の中にさえ、さらりと載せていたのですから。
尤も日本語の場合、母音はアイウエオの5音だけですが、サンスクリットには母音が、ア、アー、イ、イー、ウ、ウー、リ、リー、リ、リー、エー、アイ、オー、アウと14もあるのです。(但し、リ、リー、リ、リーは便宜上の仮名書きです。)
『無量寿経』というお経の末尾に近いところに、"この私たちの世界だけでなく、他方十四の仏国の無数の菩薩たちも、阿弥陀如来の仏国に生れてゆく"とあ り、『観無量寿経』というお経では、"極楽世界には東、西、南、北、四維に合計八つの池があり、その一々の池の水が十四の支流に分れる"と説かれていま す。この場合の十四仏国や十四支は、母音の十四音と付合するなあと思ったりしています。
さて、アイウエオの次に憶えるのは"イロハ"ですね。
いろはにほへと ちりぬるをわか よたれそつね ならむうゐのおく
やまけふこえて あさきゆめみし ゑひもせす
子供のころは、何のことか解らずに、「いろは」を上記のように口ずさんでいました。
しかし、これが、実は大変な歌だということが、あとになってわかりました。
"色は匂へど 散りぬるを 我が世 たれぞ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず"
昔は仮名に濁点や半濁点はもとより、点や円の句読点もつけなかったので、「いろはにほへと」などと読んだのですが、これは勿論、「色は匂へど」だったわけで、更にこの歌は、『大乗涅槃経』(40巻)(聖行品第7の4)に出てくる
諸行無常 是生滅法
生滅々已 寂滅為楽
という聖句を、伝説によれば、これも弘法大師が、上記のような歌に作り直されたというのです。
これも小学校ですが、5~6年生ごろの国語の教科書に、たしか「雪山童子」とかいう題で、次のようなお話が出ていたと思います。(-但し、念のため、信 頼すべき同年の学友に確かめたところ、彼曰く「そんな話は知らん」とのことでしたので、或いは何か私の錯覚なのかも知れません。その場合は、どうぞ、お許 し下さい。猶、お話は、私なりの潤色・解説が混っていることを御了承下さい。)
昔々、若者が、たった一人、さとり(仏の智慧)を求めて、雪山(インドの北、ヒマ ラヤの山)で厳しい修行をしていました。
ある日のこと、どこからともなく歌がきこえてきます。
「諸行無常 是生滅法」
若者は、「これだ!」と思いました。
"色は匂へど 散りぬるを 我が世 たれぞ 常ならむ"
"あらゆるものは 片時も休み無く、どんどん移り変って行く。人間もそうだ。幼い 子は成長する。しかし、若い、元気だと思っていても、やがて何時の間にか老い、病 み、そして必ず死ぬのが定めなのだ"
"まことにその通りだ。これこそ私が求めていた真理だが、しかしこれでは余りに淋 しい。この歌には、きっと後半があるに違いない。それにしても、一体だれが、こん な尊い歌を歌ったのだろう"
そう思いながら、童子は、そこらじゅうを見廻しました。
すると向こうの方から、恐しい姿をした羅刹(鬼)が1匹やってくる。
"まさか、あんな尊い歌を、恐しい羅刹が口ずさむ筈がない"と思ったが、他に声の 主らしい者は全く見当りません。
念のため、童子は羅刹に尋ねました。
"さっきの歌は、あなたが歌ったのですか"
"ああ そうだ"
と羅刹は答えました。童子は、
"では、お尋ねします。あの歌には、あと半分、あるのではありませんか。あれば 教えてほしいのです"
と言いました。羅刹は
"ああ、あるよ。教えてやってもいいが、俺は今、腹ぺこなんだ。食べて、空腹でな くなったら教えてやろう"
"あなたは、何を召し上がるのですか"
"驚くなよ。俺は人間の血を飲み、肉を食うのだ"
その時、童子は申しました。
"よろしい。わたしを食べて下さい。しかし食べる前に、歌のあと半分を教えて下 さい。それを聞いた後、私のからだを、あなたにを差し上げましょう"
"よし"
と羅刹は言って、歌の後半を歌いました。
"生滅々已 寂滅為楽"
"生"も"滅"も無くなった、それらを超越した静寂の境地をもって楽と為す"
"有為(迷い)の奥山 今日越えし 浅き夢見じ 酔ひもせず"
"今や奥深い迷いの山を越えて 浅はかな夢を見ることも
その夢に酔うこと無く 浄らかな悟りの境地に到ろう"
この歌を聞いた雪山童子は「これこそ!」と思い、そこらじゅうを走り回って、岩は だと言わず、樹の幹といわず、地面といわず、手の届く限りの所に、 この言葉を書きつ らねました。これこそ自分が求めていた、人類永遠の真理、そして永遠に人びとに伝え 残すべき聖句だ。青年は、これを後の世の人びとに も残そうとしたのです。
そして、ひとしきり走り回って書き終った青年は、かたわらの大きな樹の上に登り、 さっと、地上に向って身を投げました。地面に身をたたきつけて、約束どおり、羅刹の 餌食になろうとしたのです。
その時、不思議なことが起りました。
恐ろしい羅刹の姿が消えて、尊い帝釈天のお姿になり、帝釈天は、その掌に、しっか りと雪山童子を受けとめ、うやうやしく童子を捧げて言いました。
"我は帝釈天なり。雪山童子の心を試さんと、仮に羅刹の姿となって現れたり。
童子は、身を棄てて真理を求め、それを後世に、永遠に残さんとした。その善行、
善根功徳によって、やがて仏となるだろう"
「有為(うゐ)の奥山」とは、深い深い迷いの世界のことだったのです。
それにしても昔は良い時代でしたね。こんな尊い教え、物語を、小学校の教科書の中にさえ、さらりと載せていたのですから。
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