さて、極楽浄土には仏によって化作された鳥以外の畜生(鳥や獣類)は居ないと言うと反論が出るかも知れません。というのは、浄土の姿を表現している筈の本堂内陣には、獅子や象、龍や時には鳳凰などの彫刻や絵画が見られることも多いからです。これについて管見を述べさせていただきましょう。
まず獅子ですが、獅子はインドでも「百獣の王」(という言葉は無かったかも知れませんが)と、動物の中で最も尊敬されていたようです。
お釈迦さまを「人中の獅子」と考えたり、その説法を獅子吼の説法と讃えたり、そのお坐りになる座を獅子座という。
お釈迦さまの時代(伝説は除外するとして)以後数百年の間、人びとは仏さまのお姿を画くこと、彫刻で表現することは勿体無い、また不可能だと考えていました。
しかし、1世紀の終か2世紀になってインド文化の西北部ガンダーラ地方(現在のパキスタンの北部)やインド本土で、仏像が作られ始め、以後、仏像の無い仏教は考えられないほどになったのです。)
ところでこの頃、インド本土(=中インド=現在の首都デリーの南方約150キロ)の仏教の一中心地として栄えたマトゥラーで製作された仏像は、獅子に支えられた台座の上に坐っておられたり、起立された両脚の間に獅子が表されたりしています。
またガンダーラの仏像の台座には、何かその仏に因んだ物語が彫刻されていることが多いようです。
また、もっと早く、紀元前3世紀、仏教精神で全インドを統治しようとしたアショーカ王は、各地の仏蹟や重要な土地に、高さ10メートル余、直径約1メー トルほどの継目無し、一本石の石柱を建てました。その数およそ30本と推定されています。そしてその柱頭には必ず高さ1メートル前後の獅子、象、牛、馬な どの立体的な見事な彫刻を置きました。但しその殆んどは獅子の彫刻だったのです。獅子こそは仏教の、お釈迦さまの象徴だったと言えるのではないでしょう か。(アショーカ王柱については今はこれくらいにしておきます。)
次に象ですが、その温和な性格、大きくて力持ちで、運搬に役立ち、虎狩り用の車や、戦車の役目も果す。だから人びとは象を愛し、大切にしました。従って獅子と共に象も聖獣だったのです。(牛、馬については省略します。)
但し、インドから仏教が伝った中国では、獅子や象は現実の動物ではありませんから、これらに対する中国人の思いは、インドの人たちとは比べ物にならなかったことでしょう。
さて、本堂内陣の須弥壇の上、御本尊を安置する宮殿の屋根を支える四本または六本の柱は、その上部、廂の下の横梁で連結されています。
ところがその梁は柱を貫通し、先端が柱の反対側に突き出ているのです。これを木端(きばな)と言います。
木端は雲形などの彫刻で処理されてもよいのですが、宮殿の横梁の木端の多くには、獅子と象の前半身の彫刻で表されています。これを獅子端(ししばな)、象端(ぞうばな)と呼んでいます。
但し獅子端は前向き、象端は横向きの木端に付けます。これは獅子の方を優先、上位に考えているようにも見えますが、実は象は鼻が長いので、外陣側から見た場合、獅子よりも豪華に見えるからでしょう。
なお、須弥壇の腰(上下の框の中間、絞って細くなった部分)の飾りとして、本願寺派の寺院では、「唐獅子・牡丹」の彫刻をを施すことが多いようです。唐獅子も獅子の一種と言えるのでしょうね。そうすると、この彫刻は獅子座の意味を示したとも考えられます。
ついでに申しますと、唐獅子と牡丹は一対の動物と植物。他に対(つい)の動・植物として、虎と竹、栗鼠(りす)と葡萄、雀と竹などの例もありますが、内陣には虎や雀は居ません。
ただ葡萄と栗鼠は、本願寺の阿弥陀堂、北脇壇上の前卓の香爐にデザインされています。
次に龍ですが、これも聖獣の一種です。よく似ていますが蛇とは異ります。勿論、空想上の動物ですが。
インドでは、いわゆる蛇行性の生物の名前はいろいろありますが、基本的にはナーガとサルパでしょう。前者を「龍」、後者を「蛇」と漢訳しています。但し、「蛇」は、
"悪性さらにやめがたし
こころは蛇蝎のごとくなり"
(親鸞聖人作、「愚禿悲歎述懐和讃」)
と言われるように、善い生物とは考えられていません。
「龍」については、お釈迦さまが35歳の時、ウルベーラ(今のブダガヤ)の森で悟りを開かれて後、なお暫くその地に在って法悦にひたっておられた時、ム チリンダ(またはムチャリンダ)という名の龍王が、七つの頭をお釈迦さまの背後から頭上に展げて、お釈迦さまを風雨からお護りしたとの伝説があります。
また『金光明経』や『法華経』というお経には八大龍王の名が挙げられ、親鸞聖人は「現世利益和讃」の中で、
"南無阿弥陀仏をとなふれば
難陀・跋難大龍等
無量の龍神 尊敬し
よるひるつねに まもるなり"
と述べられています。
難陀、跋難は、インドの言葉、ナンダ、ウパナンダを漢字で表訳したもので、それぞれ八大龍王の一です。
また、昔はインドでも日本でも龍は雲を呼び、雲は雨を呼ぶと信じられており、こんな歌も詠まれていたことは御存知でしょう。
"時により 過ぐれば民の なげきなり
八大龍王 雨やめたまへ"
源実朝(鎌倉幕府第3代将軍)
なお、仏教史上、お釈迦さまに次いで偉大で、親鸞聖人も七高僧の筆頭として尊崇された高僧(=菩薩)の名が龍樹(ナーガールジュナ=2~3世紀、南インドの人)だったことは、よく御存知の通りです。
ところで中国では、龍は動物の祖として尊敬されたようです。そして、龍が鳳凰を生み、鳳凰は鸞を生んだとされ、従って龍は王者(天子)の象徴でもあったのですが、ここでちょっと、またインドの鳥について考えてみましょう。
インドの鳥では古代からマユラ(孔雀)、ハンサ(白鳥、鵞鳥?)、ガルダなどが代表的でしょう。マユラから派生した語がマウルヤで、これはアショーカ王 の王朝の名前です。 ハンサはブラフマ神(梵天=創造神)の乗物とされる聖鳥で、アショーカ王建立の石柱頭の受盤(アベイカス)にも、ハンサの行列の彫刻 がなされている例があります。
ガルダはヴィシュヌ神(=保存神)の乗物で、蛇にとっての天敵です。なお、天界まで飛ぶことが出来る聖鳥なので、インドネシア共和国(今はバリ島以外は 回教圏。但し言語も含めて、依然ヒンズー教文化が色濃く残っている)では、その名を借用して、国営航空をガルダ航空を称しています。
日本では、烏天狗の先祖と考えられていました。
さて、中国ですが、戦国時代(BC403-BC221)の学者・荘子が書いたとされる『荘子』には開巻劈頭に「鵬」という鳥のことが出てきます。
北海に鯤(こん)という名の魚がおり、大きさは何千里あるかわからなぬほどだ。
この鯤が姿を変えると「鵬」という鳥になる。『斉諧』という書物によると、鵬が南 海に移るときは、水上を羽ばたくこと三千里、飛び上がること九万里。そして六か月 もの間、休み無く飛びつづけるという、と。
多分、同じ戦国時代の頃、聖人が世に出た時、これに応じて現われる瑞鳥と考えられ、飛べば群鳥、これに従うと考えられた鳳(雄)凰(雌)の鳳が、鵬と発音が同じです。これは単なる偶然と考えてよいのかどうか。
それはそれとして、鳳凰の姿は、インドの孔雀か、または南海の極楽鳥をモデルに考え出されたのでしょう。そして、正に聖者の乗物の意味をこめて、天子の乗物としての鳳輦なども造られたと思われます。そしてその鳳凰が仏教の荘厳に転用されたのでしょう。
なお、先述の六鳥ですが、第5番目の迦陵頻伽は、実は人面鳥身です。そのせいか、本堂内陣前卓の腰のパネルでは、迦陵頻伽ではなく鳳凰が彫刻されています。
なおこれらの鳥獣ですが、単に仏教建築だけでなく、仏教関係の織物のデザインにも広く用いられていることは御存知の通りです。
またガンダーラの仏像の台座には、何かその仏に因んだ物語が彫刻されていることが多いようです。
また、もっと早く、紀元前3世紀、仏教精神で全インドを統治しようとしたアショーカ王は、各地の仏蹟や重要な土地に、高さ10メートル余、直径約1メー トルほどの継目無し、一本石の石柱を建てました。その数およそ30本と推定されています。そしてその柱頭には必ず高さ1メートル前後の獅子、象、牛、馬な どの立体的な見事な彫刻を置きました。但しその殆んどは獅子の彫刻だったのです。獅子こそは仏教の、お釈迦さまの象徴だったと言えるのではないでしょう か。(アショーカ王柱については今はこれくらいにしておきます。)
次に象ですが、その温和な性格、大きくて力持ちで、運搬に役立ち、虎狩り用の車や、戦車の役目も果す。だから人びとは象を愛し、大切にしました。従って獅子と共に象も聖獣だったのです。(牛、馬については省略します。)
但し、インドから仏教が伝った中国では、獅子や象は現実の動物ではありませんから、これらに対する中国人の思いは、インドの人たちとは比べ物にならなかったことでしょう。
さて、本堂内陣の須弥壇の上、御本尊を安置する宮殿の屋根を支える四本または六本の柱は、その上部、廂の下の横梁で連結されています。
ところがその梁は柱を貫通し、先端が柱の反対側に突き出ているのです。これを木端(きばな)と言います。
木端は雲形などの彫刻で処理されてもよいのですが、宮殿の横梁の木端の多くには、獅子と象の前半身の彫刻で表されています。これを獅子端(ししばな)、象端(ぞうばな)と呼んでいます。
但し獅子端は前向き、象端は横向きの木端に付けます。これは獅子の方を優先、上位に考えているようにも見えますが、実は象は鼻が長いので、外陣側から見た場合、獅子よりも豪華に見えるからでしょう。
なお、須弥壇の腰(上下の框の中間、絞って細くなった部分)の飾りとして、本願寺派の寺院では、「唐獅子・牡丹」の彫刻をを施すことが多いようです。唐獅子も獅子の一種と言えるのでしょうね。そうすると、この彫刻は獅子座の意味を示したとも考えられます。
ついでに申しますと、唐獅子と牡丹は一対の動物と植物。他に対(つい)の動・植物として、虎と竹、栗鼠(りす)と葡萄、雀と竹などの例もありますが、内陣には虎や雀は居ません。
ただ葡萄と栗鼠は、本願寺の阿弥陀堂、北脇壇上の前卓の香爐にデザインされています。
次に龍ですが、これも聖獣の一種です。よく似ていますが蛇とは異ります。勿論、空想上の動物ですが。
インドでは、いわゆる蛇行性の生物の名前はいろいろありますが、基本的にはナーガとサルパでしょう。前者を「龍」、後者を「蛇」と漢訳しています。但し、「蛇」は、
"悪性さらにやめがたし
こころは蛇蝎のごとくなり"
(親鸞聖人作、「愚禿悲歎述懐和讃」)
と言われるように、善い生物とは考えられていません。
「龍」については、お釈迦さまが35歳の時、ウルベーラ(今のブダガヤ)の森で悟りを開かれて後、なお暫くその地に在って法悦にひたっておられた時、ム チリンダ(またはムチャリンダ)という名の龍王が、七つの頭をお釈迦さまの背後から頭上に展げて、お釈迦さまを風雨からお護りしたとの伝説があります。
また『金光明経』や『法華経』というお経には八大龍王の名が挙げられ、親鸞聖人は「現世利益和讃」の中で、
"南無阿弥陀仏をとなふれば
難陀・跋難大龍等
無量の龍神 尊敬し
よるひるつねに まもるなり"
と述べられています。
難陀、跋難は、インドの言葉、ナンダ、ウパナンダを漢字で表訳したもので、それぞれ八大龍王の一です。
また、昔はインドでも日本でも龍は雲を呼び、雲は雨を呼ぶと信じられており、こんな歌も詠まれていたことは御存知でしょう。
"時により 過ぐれば民の なげきなり
八大龍王 雨やめたまへ"
源実朝(鎌倉幕府第3代将軍)
なお、仏教史上、お釈迦さまに次いで偉大で、親鸞聖人も七高僧の筆頭として尊崇された高僧(=菩薩)の名が龍樹(ナーガールジュナ=2~3世紀、南インドの人)だったことは、よく御存知の通りです。
ところで中国では、龍は動物の祖として尊敬されたようです。そして、龍が鳳凰を生み、鳳凰は鸞を生んだとされ、従って龍は王者(天子)の象徴でもあったのですが、ここでちょっと、またインドの鳥について考えてみましょう。
インドの鳥では古代からマユラ(孔雀)、ハンサ(白鳥、鵞鳥?)、ガルダなどが代表的でしょう。マユラから派生した語がマウルヤで、これはアショーカ王 の王朝の名前です。 ハンサはブラフマ神(梵天=創造神)の乗物とされる聖鳥で、アショーカ王建立の石柱頭の受盤(アベイカス)にも、ハンサの行列の彫刻 がなされている例があります。
ガルダはヴィシュヌ神(=保存神)の乗物で、蛇にとっての天敵です。なお、天界まで飛ぶことが出来る聖鳥なので、インドネシア共和国(今はバリ島以外は 回教圏。但し言語も含めて、依然ヒンズー教文化が色濃く残っている)では、その名を借用して、国営航空をガルダ航空を称しています。
日本では、烏天狗の先祖と考えられていました。
さて、中国ですが、戦国時代(BC403-BC221)の学者・荘子が書いたとされる『荘子』には開巻劈頭に「鵬」という鳥のことが出てきます。
北海に鯤(こん)という名の魚がおり、大きさは何千里あるかわからなぬほどだ。
この鯤が姿を変えると「鵬」という鳥になる。『斉諧』という書物によると、鵬が南 海に移るときは、水上を羽ばたくこと三千里、飛び上がること九万里。そして六か月 もの間、休み無く飛びつづけるという、と。
多分、同じ戦国時代の頃、聖人が世に出た時、これに応じて現われる瑞鳥と考えられ、飛べば群鳥、これに従うと考えられた鳳(雄)凰(雌)の鳳が、鵬と発音が同じです。これは単なる偶然と考えてよいのかどうか。
それはそれとして、鳳凰の姿は、インドの孔雀か、または南海の極楽鳥をモデルに考え出されたのでしょう。そして、正に聖者の乗物の意味をこめて、天子の乗物としての鳳輦なども造られたと思われます。そしてその鳳凰が仏教の荘厳に転用されたのでしょう。
なお、先述の六鳥ですが、第5番目の迦陵頻伽は、実は人面鳥身です。そのせいか、本堂内陣前卓の腰のパネルでは、迦陵頻伽ではなく鳳凰が彫刻されています。
なおこれらの鳥獣ですが、単に仏教建築だけでなく、仏教関係の織物のデザインにも広く用いられていることは御存知の通りです。
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