8月4日から7日まで4日間の盆踊りが、盛大裡に終了しました。
"無事に"と言いたいところですが、最初の3日間(午後7時~9時)は何とか保ってくれた天気が、午後6時ごろから始めた最終日の7日、約80キロ北方とは言っても同じ関東平野の中心部に近い熊谷地方を襲った、1時間110ミリと言われる集中豪雨のあおりをうけて、6時半ごろから夕立。2千人近い人びとが急拠逃げこんで、広大な本堂その他の建物が埋めつくされる騒ぎになりました。
幸いに予め行っていた放送案内のせいで、全く混乱も事故もありませんでしたが、残念ながら午後7時、終了を決定しました。しかし、4日間を通じて、地域の方々や警戒、消防隊その他の絶大な御協力のお蔭と別院職員の努力で、この盆踊が年々盛大になってゆくことを、ひしひしと有難く感じました。
何と言っても、お寺(だけでないでしょうが)は地域の皆さんの御支援が、一番大切なのです。「テラ」とは古い韓国語で"人の集るところ"という意味だと聞いたことがあります。(その後、厳密に確認したわけではありませんが。)
遙かに千年を越す古代、国家の方針によって開かれた超特大寺は別にして、特に私たち浄土真宗の寺々の多くは、念仏の流布によって村々に建てられた念仏道場(=集会所)から発展しました。管理者には村長の弟とか次男とかが出家して、やがて住職になる。地域密着型です。
だから、浄土真宗のお寺である築地本願寺は大震災後の90年近い長い期間を経て、今ようやく、その本来の面目を発揮し始めたとも言えます。そう思うと、胸は希望と期待に溢れてきますね。
さてそんな中で、今年特に感じたことを書かせていただきましょう。
その一つが(昨年も感じたのでしょうが、今年特に)踊る女性たちの得も言われぬお色気でした。
まず、浴衣姿そのもの、それから前進後退の動作は勿論のこと、ちょっと腰を落して片脚を上げる時、両手の上げ下げ、上げた手を曲げたり回したり、横に展げたり、くるりと回る時の身のこなし等々...。軽やかな洋装(その多くは、長い紐のショルダーバッグを、上手に肩にかけておられました)から伸びる長い脚線美、肩から肘、手首から指先にかけての柔軟な動きが、折からの照明の中に浮び上って、普段以上に美しく、私だけでなく、多くの人の目を楽しませたと思います。しかし、何故か今年は特に濃藍染地の浴衣姿が私の目を魅きました。
猶、築地本願寺の副住職でもある新門様(本願寺の後継者)御夫妻も、昨年につづいて、今年は特にステージの上で、皆様方とご一緒に夏宵の一刻を踊りの中で過されました。できるだけ広く一般の方がたにも接しようと努力されているお心の現れかと思うのですが、このことがまた、私たちの盆踊りの大きなチャームポイントなのかも知れません。
今年特に思ったことの第二は、参加しておられる皆さん方の食欲の旺盛さです。
約2千人中、実際に踊っておられるのはせいぜい2~300人でしょう。その周囲で立ち見、見物している人たちも略々同数。
ところが、中央の櫓の西側から南側の、外塀に添った植え込みの前、それから南門の外まで、全部で20~30軒のテント張りの出店が出て、そこで軽食や清涼飲料を売っている。通常の市価より安くなっているものもあったとか聞きました。中には八丈島特産品の売店までが出ています。
そしてL字型に並んだ出店の列と、櫓を中心とした踊りの輪の間の広い空間に、ぎっしりと机と椅子が並べられて、大人、子供、男女老幼の別無く、食客たちが、そこを埋め尽し、ビールを傾け、ジュースを飲み、軽食を頬張る。
更に本堂正面の幅11メートル、高さ21段の階段に坐って、彼方の盆踊を見物している筈の人びとのほとんどが、これまた、おしゃべりをしながら何かを食べている。
それから、踊り時間が丁度中半に達した頃、その石段の正面で、かねて用意の駄菓子の詰め合せ(4日間で合計1800袋)を子供たちにプレゼントするのですが、ぎっしり何列にも並んでいる子供たちが、前に出て来て、一人一袋の菓子袋を受けとる時の、彼等子供たちの目つきの真剣さ、こちらが差し出した袋を、奪うように受け取ってゆく素速さ...。
殊にその輝く目は、発展途上国の子供たちが粗末な教室や校庭(校舎が無く、生徒たちは地面に坐り、石版とチョークがノートと鉛筆代り)で、先生のお話を聞いている時の目つきを、思い出させました。
学校・教室でのあの目の輝きが、ここ数十年の祖国躍進の大きな力となっている人材を送り出しているのでしょう。幼い子供たちも、しっかり食べて健康に育ち、しっかり勉強して、未来の日本を立派に背負っていってもらいたいものです。
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