Oさんは私の知っている限りでも、男4人女4人の8人姉弟でした。Oさんは上から2番目だった筈です。
8人とも、昔としては長生きだったと思います。Oさん自身、昭和50年、82才で亡くなっていますから、当時としては、充分に長命でした。念のため、寺の過去帳で調べてみると、一番下の妹が最も若死で61才、あと70才台が2人と80才台が5人、最高が89才で、8人の平均は79.4才。いわゆる長命の血筋ではあったわけです。
昭和40年に亡くなった御主人は、長年、門徒総代をも務めた篤信者で、(多分、最初で)最後の入院の際には、病室にお仏壇のリンを持ちこんで、朝夕、ベッドで勤行されていました。(私が見舞に行ったとき、リンが枕元にありました。)リンと言えば、Oさんの3番目の弟Mさんもそうでしたね。
Oさん自身も若い頃は、やはり子沢山で、家業もあり、仲々時間がとれなかったかと思いますが、晩年はお寺や門徒の方がたのお家で、当時、毎日のように開かれる昼夕二度の法座にお参りするのが日課でした。
しかし困ったことに、Oさんは、膝が悪く、姉弟みな、晩年には腰が曲っていました。DNAのせいでしょうか。昔の農家の人たちは、田植やら刈入れやら、その合間合間の田畑の世話で、どうしても、腰の曲る方向へDNAが進化したのかも知れません。
だから、Oさんは、外出(といっても殆んどお参り)の際は、いつも手押車を押していました。杖は使わなかったと思います。
従って、路面を歩くのにはそれが良かったのでしょうが、お寺へ参拝の節には手押車は門前に置き、お寺の門前の、ほんの2~3段ですが石段、山門をくぐって前庭から本堂の向拝への石段、そして本堂正面の階段、更に落縁から広縁への1段と堂内への1段、これらの階段は這って上るしか方法がなかったのです。
ある時、まだ読経まで時間があり、何か所用があって私が本堂の前縁に出たら、丁度Oさんが、階段を上ってくるところでした。
但しその時、Oさんは向拝の階段の端の手摺りにつかまって、「うんうん」言いながら片足ずつ片足ずつ上ってきます。
思わず駆け寄って、Oさんの手を持とうとしたら、「いやいや、これが私の仕方です」といって、断られてしまいました。
こうしてOさんは、毎日のように、多分元気な人が小さな丘に登る以上の苦労をしてお参りされたのです。それが運動にもなり、長寿にも役立ったのかも知れません。
さて私ですが、近頃、頻繁に通る4~50段もあるJR駅でプラットフォームへの階段を上下するのは50%ぐらいで、半分はすぐ横のエスカレーターを利用しますが、寺内には勿論、エスカレーターなどはありません。
幸か不幸か、私の寝室、更衣室、その他もろもろは2階建の建物の階下にありますが、大震災後の再建に当って、自分の家の被災を放っておいて、寺の復興に尽してくれた、すぐ下の弟が、寒がり屋の私のために、2階南向き、一番暖かい部屋を、書斎用に作ってくれました。
だから、書籍その他も分散しているし、寺内に居るときは朝昼晩の3回以外に、時にはメモ一枚でも持って、15段の階段を上ったり下りたりします。
一体、日に何回ぐらい上下するか。階段を上りきった所に置いてある本棚の横に白紙を貼り、鉛筆を置いて記録しようと思いました。
しかし、何か目的があるから上り下りする訳で、その用件のことを考えている時、目の前の記録用紙など、眼中にありません。殆ど素通りです。五画で正の字にする記録作成計画など、殆んど絵に画いた餅でした。
だから、正確なことは言えませんが、多分、日に10回やそこらは上り下りしているのではないでしょうか。
そしてこの階段の上り下りのお蔭で、脚腰も何とか人なみに動いているのだと思います。
そんなことを折々に考えていたところ、先日のテレビで、発育盛りの子供たちの疾走、跳躍、平均台などの運動能力が、年齢の上昇と逆に低下している。その原因として考えられるのが、戸外での運動量の減少と共に、いわゆるマンション住居でエレベーターを利用するため、階段の上下をしないからだろうとのことでした。
「なるほど、そうか」と、早速、朝のおつとめにお参りに来られた方々に、受け売りをしました。
「......。だから、お寺の本堂の階段を上って下さいね。お経の勉強もそうですよ。頭もしっかり使いましょう。」
皆さん、少し上目使いで私の顔を見ながら、口もとは笑っておられました。
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