インドでは葬送の仕方として、火葬、水葬、野葬の三種があったとの報告が、三蔵法師玄奘によって為されています。
玄奘(602-664)は中国、初唐の人。629年から645年にかけて足かけ17年に亘ってインドに単身求法した。その旅行記が『大唐西域記』12巻です。
明の時代に作られ、猿の怪物・孫悟空などが活躍する小説『西遊記』は、これに基いています。
なお、上記の三葬の他に、10世紀頃に西方から回教徒が侵入して以来、土葬が加わります。
〈火葬〉
さて、まず火葬ですが、長さ2メートルほどの太い薪木を高さ1メートル弱の井桁状に積んでその上に遺体を置き、荼毘に付することで、今も北インド、ガンジス川の沐浴風景で有名な宗教都市ベナレスの、そのガンジス川畔だけでも、50年前毎日、数十体が焼かれていました。当時4億だったインドの人口が今は12億に近いそうですから、ベナレス周辺の人口(50年前は約50万)も、従って葬送の数も、もっと増えていることでしょう。なお荼毘とは「ジャーペーティ」(火葬)という梵語(インドの古語)を漢字で表現したものです。
〈土葬〉
次に回教徒が行う土葬とは、遺体を土中に埋めること。これには柩が用いられています。 また一般人は広い墓地に埋めて、その上に標識を置くだけですが、王侯貴族の場合は、柩を地中に埋め、その上に立派な殿堂を建てます。その最も代表的なのが、タージ・マハルです。

インドの首都デリー市の東側を流れるヤムナー(ジャムナー)川は、うねうねと遙か東南方に700~800キロ流れ、アラハーバード市の東郊で、同じく西ヒマラヤから流れてきたガンジス(ガンガー)川に合流して、ヒンズー教の大聖地"ガンガー・ジャムナー・サンガム=合流点"を形成し、以後はガンジス川になります。
ところで、その途中、デリーから200キロほど南下した地点でも、流れを急に東に変える所があります。その左旋の直前の右岸、つまり西側に、ムガール帝国(1526-1858A.D)第3代アクバル大帝(1542-1605A.D)は、8年がかり(1565-1573A.D)で、東西600メートル、南北800メートル、赤砂岩を主体とした華麗な大城(アーグラ城)を建設しました。
大帝の死後、ジャハンギル帝を経て帝王を継いだシャー・ジャハン(1592-1666A.D、在位1628-1658A.D)は、愛妃ムムタズ・マハルと共に栄華の日々を送っていましたが、彼女は1629年、14人目または15人目の出産の産褥熱で急死します。39才でした。
戦陣にまで同伴し、片時も離さないほどムムタズを愛していたシャーは愛妃のために、1631A.Dから1652A.Dまで、実に22年の歳月をかけ、帝国の財力を傾けて、世に比類無き廟墓を建立しました。これがタージ・マハルです。タージは、ヤムナー川が東流に転じた直後の、やはり右岸に建てられました。アーグラ城からは直線で約2キロ、ヤムナーの流れを前景にして、つい目と鼻の先に望むことが出来ます。
工事には毎日2万人が動員され、主要な建築資材・白大理石は、数百キロ離れた産地から運搬されたそうです。
廟墓には、ヤムナー川の南岸に沿った、間口300メートル、奥行550メートルの地が当てられ、砂岩の塀壁で囲まれています。(以下、寸法を示す数字は資料によって多少異なります。大略とお考え下さい。)
巨大な箱型の、赤砂岩造りの正門を入ると、回教圏式の左右対称の整然とした中庭が展がります。その先に約100メートル四方、高さ7メートルの総大理石造りの基壇が設けられ、その中央に平面が60メートル四方で四隅を大きく切り落して八角形に近い、高さ約33メートルの主堂が建てられ、その天井に径17.5メートル、高さ25メートルのドームが造られ、ドームの頂上には、黄金色に輝く尖柱が立てられています。地上からの総高は約80メートルです。
また基壇上の四隅には、高さ約45メートルの尖塔(ミナーレ)が建築されています。
基壇も含めて廟堂の内外壁など全ての構築物には品質の優れた白大理石を用い、主堂は偶像崇拝を禁止する回教教義に従って専ら草花または幾何学文様および美しくデザインされたコーラン(聖典)の聖句によって、赤、緑、青、黒(瑪瑙、エメラルド、サファイヤ、オニックス)などの宝石、貴石の象嵌を用いて装飾されました。象嵌は石の継目が手触りではわからない程の高度の技術が駆使されています。
詳細は省略しますが、堂内中央に基壇を設け、そこには、やはり美しい象嵌で装飾された白大理石製のムムタズの柩、その傍に、後に加えられたシャージャハンの柩が安置されています。しかしこれらは中空で、実はその真下、床面が地上レベルに相当する地下室に、全く同様に基壇を設け、本物の柩が置かれています。だから通常の意味での土葬、埋葬とは言えません。
国費を傾けたシャー・ジャハンは、その後、病を得、三男のアウランガゼーブによって王位を簒奪されて、城内に幽閉され、以後、遙かに廟墓を望見しつつ孤愁の晩年を過したと伝えられています。
〈水葬〉
水葬とは例えば遺体に40センチ×50センチ×10センチぐらいの重石を結びつけて、川や池などに沈める(棄てる)。
その実態は、これも前述のベナレスのガンジス川で、今も時折り見かけますが、伝染病で死んだ人、妊婦、ヒンズー教徒としての入門式を終えていない、5才ぐらいから下の子供の場合が該当します。
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