さて、このように仏教も含めて、出家修行者の服装は(例外もあったにしても)壊色で統一されていますが、他の修行者と比べて、仏教の僧侶の服装には決定的に異る点があります。
それは、仏教以外の修行者が、原則として一枚の布を腰に、一枚で上半身を覆うのに、仏教の僧侶の法衣には田相といって、縦横に碁盤の目、あるいは田んぼの畦道のような筋(縫い目)がついていることです。
何故、そうなのか、これについて二つの伝承があります。
〈その1〉
王舎城の城主でもあり、熱心な仏教信者でもあったマガダ国王ビンバシャラは或る時、道の途中で黄衣の修行者に出会った。王はその黄衣の人を仏教の僧侶だと思って、態々乗物から降りて敬礼したところ、相手は外道の修行者だった。
そのことがあって後、王は釈尊に、外道とは異り、一目で仏教の僧侶だとわかる服装を制定してくださいとお願いした。これに基いて、お釈迦さまは、眼前に広がる田んぼの畦のように見える、いわゆる田相の法衣を制定された、というのです。
しかし、この話は、おそらく後世の創作でしょう。
〈その2〉
お釈迦さまは、修行時代も仏になられて後も、物を非常に大切にされた。それで、身につけるものとしては、ボロ切れを数枚集めて縫い合せ、まず幅2~30センチ(或いは4~50センチ)、長さ1.5~2メートル前後の長布をつくり、同様な長布を5枚(五條)、7枚(七條)と横に縫い合わせて、幅広い布にし、それを身につけられた。
なお古来、インドや中近東地域では、奇数、特に「七」などは聖(=正)なる数と考えられてきたようです。
また当初はこのように先ず長布をつくり、それを何條か横に縫い合せただけのものだったでしょうが、それだけでは縫目などが綻び易い。また着用に際して引張られて力が掛かって破れる所もある。そこでそのような綻びなどを防ぐために、布片や條のつなぎ目に別布を当てがって強化したり、周縁を別布で保護することなどが行われるようになりました。
ところで、このような布片を、どこで手に入れたか。比丘の中には、誰かが川や池の洗濯場近くの道端に干してある布を、捨ててあると勘違いし、持って帰ろうとして悶着を起した例もあるようです。このようなことから「不与取戒」つまり"与えられないものは取ってはいけない"という戒律「偸盗戒」も制定されたといわれています。
しかし、古布を最も入手し易い場所としては、墓場があったのです。
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