話は可成り迂回しましたが、仏教(だけに限らないかも知れませんが)の修行者=僧侶たちは、屡々、「塚間」に住んでいたと、経典に記されています。この「塚間」こそがシータ・ヴァナでしょう。運び込まれてきた屍体そのものが諸行無常のしるしですが、それが見る見るうちに様相を変えてゆく。それを目のあたり凝視するわけですから、これほど痛烈な修行も無いと思われます。
さて、そのようにして遺体は白骨化される訳ですが、他に残る物があります。それは遺体が着用していた衣服、あるいは屍体を包んでいた白(男性用)または赤(女性用)の布です。
これを拾い集め、先述のような長布に縫い合わす。そしてそれを更に幅広に仕立てる。こうして作られたのが仏教の僧侶の法衣だった。そして修行者の衣服ですから、当然、上記のどこかの過程で、修行者用に染色しました。
但し、女性の遺体を包んであった赤い布は、当然、壊色(えじき)に染めることも難しく、また、女性用だった布を男性たる比丘が用いることはしなかった。従って染色されたのは、男性の遺体を包んでいた白い布だけだったことでしょう。
なお、戒律の中には「未だ腐爛していない屍体の布は取ってはいけない」との條項があります。
また、僧侶は六物といって三種類の法衣(後述)、托鉢用の鉢、坐具、漉水橐(水中の虫を飲み込まぬよう、水を漉すための布製の袋)のほかに、糸と針とは、特に旅する時には必ず携帯せねばならぬとされていました。出家者は金銭を所持しないのが原則でしたから法衣は買うのではなく、寄進か又は自分で作る以外に入手の方法はありませんでした。裁縫つまり法衣の仕立て、つくろいは僧侶が自ら行うのが原則だったからです。このようなことから、法衣はしばしば塚間衣、糞掃衣(ぼろ布で作った衣)、衲衣(縫い合せて作った衣)などと呼ばれました。
なお、仮りに長尺の布を入手したとしても、それは、わざわざ一たん短尺に裁断してから縫い合わせました。だから仏教の法衣のことを割截衣とも呼びました。裁断してある布は、他に使い道が無く、従って盗難の恐れも無かったのです。
勿論、立派な、仕立上った法衣を寄進されることも次第に多くなりました。
現在ではタイなどの南方仏教圏では店頭で販売されており、筆者も何度かそれを買ったことがあります。
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