12月4日、午前5時、目が醒めてトイレに行きました。何時ものように、このまま起きて読書をしようかと思ったのですが、昨夜も就床が零時を回っていたし、身体も休められる時に休める方がいい。起床時刻の午前6時までもう1時間ある。幸いに眠れたら、そうしよう、と考えて、ベッドに戻りました。
程無く眠ってしまったのでしょう。何か割合楽しい夢を見ていたようですが、気がついて目覚し時計を見たら、7時10分前。一瞬、ああ丁度良い時刻に目が醒めた(自坊の朝の勤行は7時半からなので)と思ったが、ここは築地別院だったのです。
せめて6時半だったら何とかなったかも知れませんが、この時刻ではもう間に合いません。係に電話して、寝坊、欠勤の旨、通知しました。
ところで何故、ちゃんとセットした筈の目覚し時計が聞えなかったのか。実は私、右の耳が殆ど聞えないのです。
私は小学生の頃から、屡々耳鼻科のお医者さんに通いました。少し良くなったらさぼって、また悪くなる、の繰返しで、自坊の在る西宮市内だけでなく、良いと聞いては東隣の尼崎市のお医者さんにまで通ったことがあります。
そのうちに、市内の総合病院が評判だということで通院しようとしたのですが、学校があるし、病院は夕刻、外来患者の診察はしません。そこで夜分、先生の御自宅で治療していただくことになり、週に1~2回お邪魔しました。
長身で、スマートで、ハンサムで、優しい先生で、容態も丁寧に説明して下さる。「上鼓室化膿症」という病名も、先生から教わったのです。治療後も、しばしば、いろんな話題で、話がはずみました。
しかし戦争の激化で何時しか足が遠のき、戦後、大学2年生の学年末試験期に、突然猛烈な鼻血が出て、またまたお世話になりましたが、丁度その頃、チベット語の佛典の版本(例えば上下約15センチ、横幅約50センチ、横書き6~7段、赤や黒字で表裏印刷)の一部を学校から借り出したことがあり、巷間には珍しいものなので、持参して御覧に入れ、大へん喜んでいただいたこともあります。
しかし結局、怠慢な患者の耳疾は完治せず、以来60年近く、自分自身の多少の不便と共に周囲の方がたには御迷惑のかけっ放しで、今に至っています。
数年前、鼓膜は簡単に張り替えられるよと言われて、(その頃、先生はもう御在世ではなかったので)別のお医者さんに相談したら、入院約1週間とのこと。せめて2~3日ならよいが、1週間なんて悠長なことはしていられない。
まあ、そんなことで、聞える方の耳を下にして寝ていて、目覚し時計が聞えないことが、これまでにも年に一度ぐらいありました。自坊では別棟で独り起居しており、内線の電話などで呼んでも受話機をとらないので、若院が見に来てくれたこともあります。
さて、寝坊の朝は流石に身体が軽い。しかし8時50分からの朝礼の最後に、職員たちにあやまっておきました。そして最後に一言、つけ加えました、「孤独死ということもあるな」と。
私の場合は恐らく孤独死ということは無かろうと思っているのですが、近時、遺体の発見は「死後約○日経過」というような話を、あちこちで聞きます。まことに気の毒なことですが、しかし孤独死だけでなく、孤独居、孤独生は、それ以上に辛いかも知れない。それを何とか無くせないものか。特に精神的孤独、孤立感から凶悪犯行に及ぶ例が、近年少なくないようです。
家庭でも職場でも、出来るだけお互いにいたわり合う環境作りが大切ですね。
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