2010年1月アーカイブ

N子の手紙

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 N子は、芳紀今や30才? とても純粋な心の持主です。
 何年か前「お客さんです」との声で玄関に出てみると、何と頭をくりくりに剃った法衣姿の女の子が立っています。N子でした。
 「どうしたの?」とたずねると、「お坊さんをやめようかと思う」と。「何故?」ときくと、「教修所の先生の言っていることと、していることが違うから」と。確か、「お経本はその都度頂くなど丁寧に扱いなさい」と教えておきながら、講義が済んで控室に帰った途端に、「やれやれ」と思って、懐中にしていた経本を、ぽんと机の上に置くのを、彼女が見ていて、腹を立てたのだったと思います。彼女は、それを言うために、法衣姿のまま、京都の教修所を飛び出し、一時間余りもかけて、私の寺まで来たのでした。
 「そんなことをしてはいけない。」「あなたのような若い、可愛い坊さん姿で、檀家のおばあさんたちのお家にお参りしたら、あばあさんたち、どんなに喜ぶことか。そうやって門徒の皆さんに喜んでもらうのが、あなたの任務なのですよ。」
 私は繰り返し繰り返し、話しました。
 彼女はどうやら、解ってくれたようでした。
 ところが、その後、しばらくして、南米のボリビヤとかへ行ってしまったのです。海外協力の団体に属し、日本の家庭の(台所の)簡単な技術を現地の人々に伝えるためだったのです。
 周囲に全く日本人の居ない所で、彼女は2年間、頑張り、やがて帰国しました。
 現在は、生まれたお寺に住み、バイトをしながら、折々に築地本願寺へもお参りに来ます。相変わらず元気で活発、まるで男の子のようです。
 そんな彼女に、ちょっといい事があるらしいので、極くささやかな贈り物をしました。
 しばらくして、大きな封筒が届きました。念のため測ってみると縦35.5センチ、横巾17.5センチ、勿論、既製品ではなく、どうやらドーサ(礬砂)引きのやや堅目の画仙紙でのお手製のようです。表書きも裏も、筆ペン書きらしく、〒マークは、縦画の左右に目、下はロにルージュが塗ってあります。裏の発信者住所の〒マークを中心に画かれた顔は、ほっぺたが赤丸でした
 さて中味ですが、やはり同じ画仙紙に本文はライトブルーの筆ペン書き、紙幅は102センチで、先日のプレゼントに対する礼状。約30行でした。
 紙幅の下縁近くに黒い水鳥が大小6羽。黄色い目、黄色い脚。黄色い嘴には、花喰いのようにピンク色のハートを咥えています。

 それにしても私自身、これまでのあちこちから何百通、何千通のお手紙を戴いたかわかりません。年賀状も毎年千数百通ですが、N子の今回のような来信は初めてです。
 恐らくは彼女の創意なのでしょう。手紙の書き方の規則や法則も大切ですが、こんな型破り(?)も面白い。いや、型破りを作れるその才能が、また素晴らしいと思いました。
 但し型破りとは言っても、それは封筒や便箋や、インクの色や挿絵のことであって、文章そのものは、きちんと、手紙文の法則に合ったものでした。

池の鯉

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 いつもは横の廊下を素通りするのですが、先日、自坊の中庭の池の方をチラリと見ると、鯉たちが、手前の方に群がっています。丁度、朝で、腹が減っているのでしょう。
 「寒いんだけどなあ」
と思いながら、ガラス戸を開けて、餌をやりました。
 大小数十尾が、口をありったけ大きく開けて、チュウチュウ、プチュプチュ、音をたてながら食べています。
 それを見ていて、ふと思いました、「彼等には、これしか喜びが無いんだ」と。
 それに比べて人間はどうでしょう。
 悲しみも悩みも沢山あるが、喜びもまた一杯ある。人に生まれさせてもらったことに感謝すると共に、魚たちにも何かもっと他に、喜びを与えることが出来ないものかと思いました。しかし、まあ、せめて長生きして、子孫を殖やすことぐらいでしょうね。
 さてその翌朝、やはり廊下から、ガラス戸越しに庭を見ると、大きな鷺が鯉を狙っています。パンパンと戸を叩いたら、フワッと飛び上り、向うの屋根にとまって、こっちを見ています。まるで、"ここまでおいで"と言わんばかりです。
 折角、卵から孵化して、やっと身長5センチから10センチぐらいになった稚魚が、可哀そうに、これまで何十尾、いや何百尾、餌食になったことか。
 「畜生め、空気銃でもあったら、絶対、仇討ちしてやるのに」

ハンドバッグ

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 ちょっと用事があって、久しぶりに百貨店に行きました。ドアーを入った直ぐ目の前に、外国の有名ブランドの店が並んでおり、その一店のショーケースに、大小三つばかり、婦人用のハンドバッグが展示してあります。
 「高価(た か)いんだろうな」と思いながら、ガラス越しに、ふと見ると、小さな、値札らしいものが、珍らしく、遠慮がちに(?)ついています。 
 別に買う宛もありませんが、興味に誘われて見てみると、一つは30万円、一つは50万円、一つは60万円也。
 紙袋なら当然無料(ただ)でしょうし、小さく折り畳みの出来る布製袋も、一つ数百円で、流用っているそうです。
 紙袋や布製袋とは使用目的が違うのかも知れませんし、女心は分りませんが、一体、どんな人が買うのでしょう。"不景気"と、どんな関係?。
 いささかけちな例ですが、"1個200円也"のインスタント・ヌードルなら、最高3000食分ですものね。

紙ヒコーキ

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 夕刻、勤務を終えて役宅(宿舎)に帰って来たら、例によって職員の坊やや嬢ちゃんたちが、階段の近くで遊んでいます。
 「やあ、こんにちは」
と、手を挙げたところ、中の一人、W君の次男坊が、大きな声で言いました。
 「ごりんばん(輪番)しゃま。いつも紙ヒコーキを作ってくれて、ありがとう!」
 私は答えました。
 「ああ、また作ってあげようね」
 彼は、すかさず言いました。
 「○○ちゃんの分も、△△ちゃんの分も、□□ちゃんの分も、.........」
 私―「はいはい。一度には作れないが、沢山ためておいて、パパにでも渡すか」

 どうも、坊やの無作意の作戦、成功したようです。
 いや、実は私も、子供たちの可愛い笑顔が見たいのです。

年末年始

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 些か遅蒔きながら新年の御挨拶を申し上げます。本年もどうぞよろしくお願いします。殊に御質問大歓迎です。未熟ですが、お尋ねにお答えする方が、自分勝手なテーマで書くよりも遙かに楽ですので。但し回答稚拙に就ては予じめ御寛恕をお願い致します。

 暮れの28日に西下、30日に東上、大晦日と元日との築地本願寺の諸行事も無事終了、まずはやれやれでした。参拝者の除夜の鐘撞き整理券は365枚だったとか。"丁度いい数字だな"などと話し合っていました。係の職員の話では鐘撞きは、午前2時頃までかかったとか。しかしその人たちとは別に、鐘の間中、正門から本堂まで、3~4列縦隊で参拝・焼香される方が続き、流石は築地、流石は東京だと思いました。

 元日の夕刻に自坊(大阪と神戸の中間、西宮市)に帰り、2日、3日と元日につづく三ヶ日の新春法要に出勤して御門徒たちに挨拶。引続き5日まで来客の応接に忙殺されました。殊に3日午後はここ20年、恒例になっている本願寺職員たち飲兵衛集団の来訪で、午後1時半から9時半まで。いやこれは、いつものように大変楽しかったが、くたびれました。
 4日、5日、6日と例の通り、20人前後、参詣の御門徒たちと共に朝の勤行と法話、6日朝インド旅行出発までに校了しておかなければならない月刊伝道紙「慈眼」の原稿を印刷所に回移し、午後から上京、翌日7日は築地本願寺の朝の勤行(午前7時)から出勤したのですが、自分の声に多少違和感がありました。
 御存知のように、親鸞聖人が御製作になった「正信念仏偈」(帰命無量寿如来...)は最初、雅楽の壱越調(いちこつちよう)(ハ調レ)で出音(発声)します。これは右膝斜前の板敷に置いてある壱越鏧(きん)を打ち、その音に合せるのですが、読誦が進み、善導独明仏正意(中国の唐時代の善導大師がただ独り、み仏の本当の御意を明かにされた)というところから、音階を双調(ハ調ソ)に上げるのです。
 さていつものように「善導...」と出音したところ、今朝に限って"ゼー"がやや苦しい。まるで高音部の"レ"か"ミ"ぐらいを出しているような感じです。
 "おかしいな"と思っていたら、勤行が終って控室に帰った途端、水っ鼻がしゅっと出た。やはり風邪だったのです。

 私はここ数年、いや十数年ぐらいでしょうか、風邪らしい風邪を引いたことが無い。引きそうな時は大腿の付け根あたりが冷たくなる。それで薬を飲み、室温を上げ、夜など蒲団の中で汗をかくほどに温めますと、風邪は未然に防げたのです。
 そんなことで今回も保温に気をつけながら7月8日と勤務したのですが、8日、西下の車中では読書しようと思っても眠くて仕方が無い。「のぞみ」が新横浜に着いたのを知らず、目が醒めたら豊橋駅を通過中でした。
 さて、そんな風邪気味の中で、9日10日の自坊での日程を何とか消化していたのですが、10日夕刻、事務連絡のため電話をして来たW君に、"電話の声がとても悪い。11日上京をやめて、都合によっては13日14日の京都での日程もキャンセルしてはどうか"と言われました。
 「まあ、体調次第で」と思ったのですが、やはり今日11日は上京を取止め。日中、ベッドで身体を休めながら読書しようとしたのですが、これが2~3分と保たない。直ぐ眠りに落ちてしまうのです。
 そんなことを繰返しながら、それでも夕刻には、もう寝ている気がしなくなって起床。
 そこへ電話......。続いて夕食、そして書斎です。
 幼い時から頑強とか頑健とかの部類に入らなかったと思いますが、長年の間に自分なりにどうにか健康を保つ工夫が出来るようになったこと、本当に有難いことだと思っています。

改札口で

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 八重洲側の東海道新幹線改札口前で、切符を買いに行ってくれている秘書のT君を待っている間のことです。

 丁度、作業員2人が、3~4台並んだ自動検札機の点検を行っているところでした。長さ(奥行き)2メートル、上下30センチほどの横蓋を次々と開けて調べているのですが、見るとも無しに目をやって、驚きました。何と細かい器具、無数の部分品が、ぎっしり詰っているのです。
 これでなくちゃあいけないのかなと思いながら、ふと気がついたのですが、ここは東海道新幹線専用で、それ以外の切符は機械が受けつけません。しかし在来各線の乗車券や、関東ならばSUICA(スイカ)関西圏ならばICOCA(イコカ)という、ワンタッチの乗車券や通常の切符も点検する機能をも備えるとなると、機械の仕事は、更にずっと複雑多岐に亘る。
 私たちはただ利用、使用するだけですが、それら数えきれない機器を作り出した人間の頭脳や生産技術の高さに、あらためて敬意を表すると共に、知らぬ間にどれほどの力が働いて私たちが生かされているかということを考えさせられました。

 そうこうしながら、ふと見ると、小柄で黒っぽい服装の、多分、学校を出て間も無い年頃のお嬢さんが、検札機を通り抜けて行った彼氏らしい男性に向って、懸命に手を振っています。
 「そんなに別れが惜しいのなら、入場券を買って、せめてプラットホームまで行けばよいのに」などと思っていたら、今度は、そのすぐ横を通りかかった、おばさん4人とおじさん1人。
 そして、そのうちおばさん3人は検札機を通り抜けて改札口の内側に入った。ところがもう1人のおばさんが検札機の入口から、向こうに向って何か大声でしゃべっている。
 「多分、これも見送りなんだろう。それにしても、何もあんな場所に立たなくても」と思っている間、他の乗客たちは、おばさんの巨体で塞がれた検札機を避け、他の検札機を通り抜けて行く。
 その時、おばさんの後に居たおじさん、たまりかねたように、おばさんの両脇に、後から両手をあてて、その巨体を移動した。やっと他の乗客も、その検札機を通過できるようになりました。
 しかし、その時、おばさんも、おじさんも、検札機を通って中へ入って行ったのです。
 「なーんだ」。件のおばさんも、おじさんも、見送りではなかったのです。「やれやれ」。

 そんな一連の流れを横目で眺めながら、「T君まだかな」と思って、出礼所の方を振り返っていると、横から軽くトンと、私の身体に何かが当った。何と、さっきの彼氏見送りの彼女です。別れを惜しみ、きっと手を振り合っていたのでしょう。しかしいよいよその場を離れようとして、後退りしながら、なおも手を振っていて、私に当ったのです。
 彼女は、恥かしそうに、ちょっと会釈して立ち去りました。こんな優しい彼女で、彼氏も幸せでしょう。
 ほど無くT君がやって来て、切符を受けとりました。次の上京は3日後かな。
 それにしても、この駅の中では、私の知らない無数のことが、時を同じくして進行している。駅は、世の中は、宇宙は、物凄く広大、深遠なのですね。

独居②

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 独居あるいは孤独ということに関して、もう少し申し上げますと、私が妻をも子をも失ったということで「淋しくはありませんか」とお尋ねいただくことがあります。
 しかし私の場合、孤独なんて、とてもじゃないが言えたものでは無い。
 第一、私たちは常にみ仏に護られて生きていると教えられています。その通りだと思います。み仏の光に照らされ、教えに導かれて生きているのです。亡くなった多くの人々との想い出も、いつも私をなぐさめ、励ましてくれます。
 また現に甥の家族と同居している訳ですし、弟妹たちも、義姉、義妹も居る。それどころか私を大切に思っていて下さる門徒の皆さんそのほか、他寺院の方々など、血はつながっていないかも知れませんが、私のことを心配して下さっている方が数えきれぬほど居られ勿体ないほどです。だから妻や娘が居なくても、淋しいなんて言うのは贅沢です。

 そして何かの折に思いが及ぶのは、お釈迦さまのことです。お釈迦さまは29歳の時、王城を出て以来、修行中の6年間、多くは森や林に住まれたことでしょう。
 そこは、蚊、蝿、蟻その他、いやな虫が沢山います。もしも不殺生を実践しておられたとすると、それらを殺すわけには参りません。
 まあ蚊や蝿が、マラリヤなど伝染病の媒介以外に人の生死に関与することはありませんが、インドの殆んど何処にでも居た筈のコブラ(長さ2メートルほど、猛毒蛇)は、噛まれることは、そのまま死を意味すると言います。他に虎も居れば、ジャッカル(狼の類?)も居る。森林は、極端に言えば、死と向き合う場所なのです。
 昼も大変ですが、ましてや漆黒の闇夜の孤独感、いや恐怖は大変なものだったでしょう。
 その孤独感、恐怖を超克されたのがお釈迦さまなのですから、仏弟子の端くれである私たちも、内心は兎も角、口に淋しいとか恐しいとかは言えないのではないでしょうか。

 丁度50年前の夏、私はほんの暫くですが、独りで西ヒマラヤ地方を旅しました。この辺(あたり)はヒンズー教よりもチベット仏教=ラマ教圏なのですが、チャンドラ川、ブハガ川など、インダス川の水源近く、麓の村から、付近の岩山の頂へ登って行く途中に大きな岩があり、そこに真上からの雨や雪なら防げる程度の窪みがあって、ラマ(仏教の僧侶)が、ただ一人住んでいるのです。
 私は彼に、持っていた飴を2~3粒供養して、尋ねてみました。
 「ここで何をしているの?」
 答えは無論「修行」です。どうやら彼は一種の神通力の修行をしていたようです。
 「私が念ずると、私の身体が地表1フィートほど浮き上るように修行している」と。
 浮き上るかどうかは確認しませんでしたが、海抜4~5千メートル級の禿げ山の岩陰に独り暮すということは、それだけでも大変な修行です。
 尤も食べ物は、谷底の河に沿って走る山道の中途、何キロ目かに数軒ある人家に托鉢していたようですが、兎に角、修行とは己との戦いであり、孤独との戦いだと、その時に思いました。
 要するに釈尊の弟子として出家した者は、この二つの戦いに負けてはならないのです。

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