都心に在る別院から車で約30分。
御生前に諸役をお務め下さった御住職が逝去されたのですが、当方の日程の都合上、密葬にも本葬にも参上できないので、寸暇を見出して、お焼香に参上しました。
帰路、高速道路に入るまでの一般道路の左側に、見事に刈り込まれた生垣が暫く続きます。
手入れが大変だろうなと思っていたら、椿だろうか、ぽつんぽつんと白い花が見える。
緑一色もいいが、これも──と、その点在の度合いにも感心しました。
2010年2月アーカイブ
さる1月31日(2010年)とあるコンビニで、プラスティック容器入りの漬物を買いました。食べるため蓋を開けようとして何気無く賞味期限を記載したレッテルを見たら、何と、2008・05・28と印刷してあります。
中味は別に何でも無さそうなので食べてみたら、異常はありませんでした。
しかし賞味期限が切れて1年8ヶ月も経った商品が店頭に置かれていた事実に、びっくりしました。
世の独居男性諸氏よ、食品購入の際にはくれぐれも御用心下さい。
賞味期限の切れた独居男性より。
ホテルで会食の時です。
ボーイさんが、大きな鍋に入れたコンソメスープ(日本料理ならお澄し)を掬って、私の皿に入れました。
見るともなしに見ていると、スプーンのお尻から滴が一つ二つ、足もとの絨毯の上に落ちました。
次いで隣の方へのサービスを見ていると、やはり床に。そしてその次も。
これじゃあ絨毯もたまらないな、と思ったり、色やデザインも一層工夫をせねばと考えたり、いや、ポタージュ(日本料理だと味噌汁)なら滴は落ちないかなと思い返してみたりしていました。
子供の頃、強い強い雷電為右ヱ門(1767-1825)というお相撲さんのことを読みました。
両脇に差しこまれた相手力士を外から貫拔きで締めつけて二の腕を折ったのと、張手で相手力士の頬を骨折させたのとで、共に封じ手になったほどでした。16年間も大関の地位を守り、その間、32場所中、負けたのは10回だけだったそうですが、遂に横綱は贈られませんでした。
雷電関の師が初代横綱、谷風(梶之助1750-1795)です。生涯で44場所中、258勝14敗(勝率約9割5分)、つまり当時春秋2場所、1場所10日間として、黒星は2場所(1年)で一つなのです。
また、63連勝の記録をつくり、これは昭和の名横綱双葉山の67連勝に次ぐものではないでしょうか。流石、雷電関の先生だけあります。
しかし谷風は、強いだけではありませんでした。人柄が素晴しく、人びとから尊敬されていました。彼が江戸の街を行くと、大勢が子供をつれてやってきたそうです。横綱に跨いでもらったら、子供たちが丈夫で賢こく育つとの噂が広まっていたからです。
横綱は、その形からも容易に解るように、注連縄、聖域(神様)のしるしだったのです。
昔は良き時代でした。
手紙や葉書のついでに、特に返信用の葉書について思うことを書いておきましょう。 返信用の葉書は屡々次のような形式になっています。
御出席
御欠席
(上の何れかに○印をおつけ下さい)
貴名(御芳名)
御住所
このとき、ただ○印を入れるだけ、あるいは住所、氏名の下に記入するだけでは、ちっと如何かと思います。
「御」を斜線ででも消し、出(欠)席の上に「謹んで」、下には「します」「致しますなどの文字を入れる。また、貴名の「貴」や御芳名の「御芳」、御住所の「御」も斜線抹削しておけば...と考えます。"そこまでしなくても"とお考えの向きもあるかも知れせんが、念のため。なお、出席の場合、おめでたい行事であれば「御結婚おめでとうごいます。喜んで(謹んで)出席させていただきます」欠席の場合は、簡単に欠席の理由記述し、併し乍ら「御盛会を心から念じ上げます」などと書いておけば、返信を受けと側としても、何かほのぼのとしたものを感じられるのではないでしょうか。
また、表に宛名が「××宛」などと印刷してある場合、寺院や会社などの単位、団体対しては、××の下、あるいは脇に"御中"と、個人宛の返信の場合は「××様」と、"様"の字を記入します。以上、老爺心から。
前回、手紙文の法則などと大層なことを書きましたが、近頃はその法則が、昔と比べて随分、自由化されているように思えます。
尤も、この自由化は、いわゆる法則を知った上での破調ではなく、自己流と言った方がよいかも知れませんね。
ものを書くのはなかなか苦心、工夫が要るもので、悩みも大きいものです。
特に日頃、原稿用紙に向うことのない人が、用務に駆られて手紙を書かざるを得ない場合もあります。それでなくても、手紙の字や文面にも人柄が現れるとか言われ、気を使うことも少なくありません。また手紙は一種の芸術でもあります。その手紙を誤り無く、上手に書くために『手紙の書き方』などというタイトルの書物も何種類か出ているようですし、書でも文章でも「書く」ことは恥を掻くことだと言えないこともないのですが、「書き方」の詳細はそちらに譲るとして、極く基本的なことを中学生の時に教わりました。
あれは確か2年生の春の頃だったと思います。国語や漢文担当のH先生が一日、授業時間に"今日は手紙や電(報)文の書き方を勉強する"と言って、お話がありました。
まず普通の手紙は、最初「拝啓」とか「謹啓」とかいう挨拶語で始める。「啓」は口を開く、つまり「申し上げる」という意味だ。
次に時候の挨拶や、御不沙汰のお詫び、相手の安否などを問う文章を書く。例えば「今年も早や花の季節になりました。長らく御不沙汰いたしておりますが皆様お変りございませんか。私もお陰様で日々恙無く過しております。御休心下さいませ」など。これが礼儀じゃ。
そしてその次に用件の本文を書く。
それが終ったら、再び挨拶。例えば「やがて梅雨、高温多湿の候となりますが、くれぐれも御身体御自愛のほど念じ上げます」など。そして末尾に「敬具」(敬いをもって)などと書き、行を換えて私信の場合は月日を書く(公文書の場合は年月日)。そして次の行に自分(差出人)の名前を下の方に。更に行を換えて相手(受取人)の名前を上の方に、自分の名前よりも大き目の字で書く......。
また、手紙文は通常の話し言葉より、一段だけ丁寧な語法で書く。つまり対等の相手(友人など)に対しては一段丁寧な語法。弟妹や後輩などへは、一応対等な身分の相手と考えて書く。上の人には上々の人相手のつもりで書く。
次に、簡略に用件だけを書く手紙の場合。これは相手によっては葉書でもよろしい。
この場合は冒頭の「拝啓」、「謹啓」などの挨拶語、および、時候の挨拶文などは不用。いきなり「冠省」とか「前略」と書く。これは、冒頭の挨拶語、挨拶文(冠、前)を省略(省、略)します、という意味。そして次に用件を書く。例えば、
「先日は旅行にお誘いいただき有難うございました。日程の都合がつきましたので、参加させていただきます。その節はいろいろ御世話に相成ることと存じますが、何卒よろしくお願い申し上げます。何れ当日拝眉を楽しみに」など。
そして末尾の挨拶語としては「敬具」の代りに「頓首」「不備」「不一」「草々」「怱々」など、充分に意を尽していない略式の書面であることの詫びを述べる。月日、自名、宛名は同じ。
但し葉書の場合、裏面には月日までで、相手や自分の住所氏名は表に書く。
また、突然、急な用件の書状の場合は、冒頭の挨拶語として「急啓」などと書いてもよい。なお、返信の場合は拝啓などの代りに「拝復」と書く。また目上の人、たとえば先生に対してなどは、「前略」「冠省」ではなく、出来るだけ丁寧に「謹啓」などから始める...。
(註:私たち僧侶あるいは仏教徒は、末尾の挨拶語「敬具」などの代りに「合掌」などを用いるのもよいのではないでしょうか。時に「和南」など書いておられる僧侶もありますね。これはvandana(ヴァンダナ)というサンスクリットの音写で、礼拝、稽首、敬礼などを意味する言葉です。)
それから、封筒の表書きは、相手の名前が出来るだけ中央にくるように、上から大きく書く。裏の自分の住所氏名は、まあ封筒の下半分に......。
先生の講義は、まだまだ続いたと思います。
そして次に電報の打ち方です。
電報は現在では電話で申し込めますが、戦後暫くまでは郵便局へ行って「賴信紙」という用紙に書いて申込むものでした。
賴信紙には、受取人の住所、氏名などは欄外に書き、本文と差出人の名前(略名でもよい)のみを枡目の部分に片仮名で書く。但し、濁音や半濁音の場合、「゛」とか「゜」は一字に数えられ、例えば「江戸」は「エ ト゛○」と書くから3字分になる。また句読点も一字分に数えられ、枡目一字で幾何の費用がかかる。だから電文は成るべく簡単に、しかし趣旨が間違いなく、正確に伝わるのでなければならない。「よいか、わかったか。ではみな、それぞれ例文を作ってみなさい!」
そして私たちは、めいめいで電文案を作成して、教壇まで持参し、それを先生がまとめて1枚づつ朗読されます。
ところが、その電文が、みな殆んど一緒なのです。曰く、
「フ ゛ タ ト ン シ ス 、 ス ク ゛ カ ヘ レ 、 ○○」
つまり「豚、頓死す、直ぐ帰れ」なのです。
「なんじゃ、これは。"豚、頓死す"ばかりじゃないか」
それもその筈、先生は太っていて渾名は「ブタ」。後には頬ぺたの膨らみ具合から「河豚」が定着しました。
私たち、まさに悪戯盛りだったのですね。
昭和19年頃のことでした。
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