あるTV対談

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 喜劇役者の藤田まことさんが亡くなった。同世代の一人として謹んで哀悼の意を表します。
 TVブラウン管で初めて彼を見たのは、昭和30年代前半だったか。森光子さんの兄さん役として、漫才コンビの故ダイマル・ラケットさん兄弟らと共演した、昼食時の連続番組だったと思います。
 その彼が、かれこれ30年も前のこと、ふと見たTVの対談番組に出演していました。相手は作詩家の藤田まさと氏。まさと氏は明治末期の生れ。昭和初年から同57年に亡くなるまでの間に70曲近い歌謡曲の作詩を手がけ、中でも昭和10年の「旅笠道中」以後、「大江戸出世小唄」「明治一代女」、12年の「妻恋道中」「流転」、 13年の「麦と兵隊」、14年の「大利根月夜」、28年の「岸壁の母」などは(他にもあるかも知れませんが)一世を風靡し、私なども識らぬ間に憶えてしまったほどです。優れた詩には、優れた作曲がつき、優れた歌手が歌うからでもあるでしょう。 さてその対談相手の「まさと氏」に「まこと氏」は尋ねました。
 「先生と私とは、名前が一字しか違わないのに、どうして先生は、そんなに沢山大ヒット曲の詩を、お書きになられたんですか。その秘訣を教えてください」
 「まさと氏」は答えました。
 「万人に共通する抽象的な言葉は一人の心をも打ちません。逆に一人の具体的な体験や思いは、万人の心を打ちます。」(大意)
 まさと氏は、たとえば旅から旅を続ける所謂「旅人」の、夜の冷たさ、心の寒さを、自分のものとして詠い、昨日も今日も、日本海に面した港の岸壁に来て、未だシベリヤ抑留から帰らぬ我が子を待つ一人の母になりきって、その心を詠いこむ。しかもその言葉は無駄を省き、練りに練ったものです。正に深網笠にマントをひらつかせ、肩をすぼめて真暗な夜道をただ一人行く若い衆や、もしやもしや、我が子が乗ってはいないかと引き揚げ船から降りてくる兵隊さん一人一人の顔をのぞきこんでは肩を落とす、その母の姿が目に浮かぶようです。この母の姿を通して、作者は母の限り無い慈愛を、聴く人一人一人に鮮かに想起させている、いや、極端な場合、その母の気持になりきらせるのです。
 以来私は、その情景が目に見えるような表現を心がけて文章を書き、あるいは話すべきだと自らにも言い聞かせ、親しい人たちにも話してきました。
 「目に見えることが大切」「百聞は一見に如かず」です。この事実を、インドの幾つかの仏教遺蹟巡拝でも教えられました。また、たとえばカルカッタのインド博物館に一部修復保存されている中印度のバールフト仏塔玉垣(BC2世紀)には、その表裏にわたって、数多くの仏伝(お釈迦さまの伝記)やジャータカ(お釈迦さまの前生の物語)が彫刻されていますし、あるいはサーンチーの丘に残る仏塔門の彫刻などにしても、参拝者は難しい仏教哲学は理解できなくても、それらについて僧侶から解説を受けながら、次第に深い信仰の境地に導かれて行ったのではないでしょうか。そんな事を思いつつ、しかし如何せん、近頃いよいよ己が筆や言葉の稚拙さをかこつこと頻りです。

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