仏を想うの最近のブログ記事


 7月4日に、KYさんという方から次の
ようなご質問をいただきました。

蓮如上人御文章三帖第四通に、「世のなかにひとの
あまねくこころえおきたるとおりは、ただ声に出して、
南無阿弥陀仏とばかりとなうれば、極楽に往生すべき
ようにおもいはんべり。それはおおきにおぼつかなき
ことなり。」という箇所がございます。
 摂取不捨の利益にあづかれるために、念仏する
幼児に最低理解させておくべきことは、どのような
ことでしょうか。どうかお教え下さい。

 このご質問に対して、お答えします。

 世の中には、目に見えるものと見えない
もの、聞こえるものと聞こえないものなど
があります。

 たとえば、万有引力は目に見えず、磁力
も電気も見えませんが、確実に存在します。

 心や智慧も見えませんが、この心が人を
動かし、この智慧が世を動かしてきました。

 仏さまとは、実は智慧そのもの。慈悲の
心そのものなのですから、目には見えません。

 ただ、私たちに分かり易いように黄金の
姿をもって現われ(方便法身の尊形)、
南無阿弥陀仏の名号(方便方身の尊号)と
して示されているのです。

 「大人は、このみ仏のお心を知って、
お念仏をさせていただくべきであり、み仏
のお心を度外視して念仏すること、つまり
念仏を呪文あつかいにしてはいけない。
呪文で極楽往生できるわけではない」と
いうのが、御文章三帖第四通のお心で
しょう。

 しかし、子供さんには、上記のように
お話しされても理解は困難です。

 ただ、子供さんが、大人から言われた
通りにお念仏をされるのは、大人の言われる
通りに仏様のお心を理解し、信じておられる
からです。こんなに純粋で清らかなお念仏は
ありません。

 どうか幼い方たちに、目には見えなくても
仏さまは、私たちが幸せになるように、悪い
ことをしたり、なまけたりして、不幸になら
ないように、いつも心配し、ご覧になって
いるのですよ。その佛さまは、お仏壇の御本尊
のようなお姿なのですよ。亡くなった御先祖
の写真も拝むでしょう。お仏壇の御本尊は佛
さまの写真なのです。と教えてあげてください。

 どうぞ皆さん、お幸せに。
 お念仏を御大切に。

 <追伸>
 私が作詩・作曲した、子供のための仏教
讃歌の一つ、「はすの おはなの」の歌詞だけ
を紹介します。

 はすのお花の   豊原大成 作詩・作曲

  1.ほとけさまは きれいだな
    きんいろの ころもきて
    おてて わたしの ほうに向け
    はすの お花の うえに立ち

  2.ほとけさまは ぼくたちが
    ねてる あいだも おやさしい
    おめめで じっと ごらんだよ
    はすの お花の うえにたち

  3.ほとけさまは ふしぎだな
    大きな お耳で わたしたち
    みんなの はなし お聞きだと
    はすの お花の うえにたち

  4.ほとけさまは だいすきだ
    ひかりとなって ぼくたちを
    いつも つつんで くださるの
    はすの お花の おくにから

ダルマ(3)

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 30分ばかりの面談の後、私たちは本堂にお参りしました。数百人は入れるお堂のご本尊は、金色に輝く大きなお釈迦樣でした。無数の花や灯明が美しく供えられてあります。

 ちょうど勤行の時間だったようです。法衣の上にえび茶色のマントをかぶった坊さん達が、続々と入ってきて、畳ぐらいの大きな臙脂色(えんじいろ)のマットを敷き並べ、一枚に2~3人ずつ坐って読経です。その数、約200人。しかし、よく見ると、そのほとんどが10歳前後から14~5歳の少年です。無邪気な顔をして大きな声で読経している者もいれば、あまり口が動いていない新米(?)の小僧もいます。

 やがて私たちは本堂を出て、広大な境内の一角に建つ道場の方に歩いていきました。約100人を収容できる宿舎のそばに、登山用の幾張りかの小さなテントも並んでいます。宿舎に入りきれない西洋からの人たちが、秋のヒマラヤの夜をテントで寝泊まりしながら勉強に励んでいるのです。私は甥に申しました。

 「結構なダルマ(仏法)が手近にありすぎて、私たちは、それを真剣に求めることを忘れて居るんだ」。

(豊原大成『心の風景 Ⅲ』自照社出版2006年 より)

ダルマ(2)

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 翌日は、遙か北方の丘の上に聳えるコバン寺に向かいました。この寺院は30年あまり前に建てられたのですが、今や僧侶の数は約300。そのうち200ほどは、近隣の貧しい農村の子弟で、お経を読むために文字を学ぶことから始める、いわば学校を兼ねている寺院と言ったらよいでしょう。
 私たちはあらかじめ約束してあった僧院長さんにまず面会しました。60歳台かと思われるこのラマ(僧侶)は、ゲーシェー(博士)という肩書きをもつ高僧です。英語もしゃべりますし、気さくな人柄で、いきなり単刀直入に話し始めました。

 「東京へ行ったことがあります。一口に言って、日本の人は、時間とお金のことは気にしますが、ダルマがありませんね」。

 ダルマとは法、つまり仏法のことです。

 「この寺には、僧侶以外に大ぜいの人びとが、仏教の勉強にやって来ています。西洋人もたくさんいますよ。しかし、日本人は一人もいません。講義は英語で行いますから、英語のわかる人びとを、本願寺からも派遣してください」。

(豊原大成『心の風景 Ⅲ』自照社出版2006年 より)

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